※アイキャッチ画像は「Auluz AuluzによるPixabayからの画像」
Paraty and Ilha Grande – Culture and Biodiversity ( Brazil ) OUV(v)(x)
2019年世界複合遺産登録
■砂糖にコーヒーに金!地域を支え続けてきた資源の宝庫
ブラジルの大西洋岸の沖合に浮かぶグランデ島と、大陸側の港町パラチーなど6つのエリアがブラジル唯一の世界複合遺産として登録されています。
世界遺産の名称にもなっている、パラチーとは、アイキャッチ画像のようにポルトガル植民地時代のコロニアルな白い壁面が特徴の建築が多く残り、今では観光地としても栄える港町の名称です。
パラチーの村は16世紀終わりに始まったとされ、17世紀にポルトガル入植者によって、砂糖産業を中心に発展し、その後独立した行政区として認められるようになります。トゥピ語で「パラチー」は「魚の川」を意味するそうで、今日でも、ブラジルのボラは、パラチー湾に流れ込む川で産卵するために戻ってくるのだそうです。
パラチーの町並みは、歴史地区全体の石畳で舗装され、250年変わらない町並み。家屋は砂と貝殻、そしてクジラの油で固められた白いの壁面が輝きます。町のこの部分では車やトラックは許可されておらず、徒歩または自転車のみが許可されています。
しかしこの石畳の通り、実はなんと月に1回、あるいは1日に2回も水没するところがあるのです。これは、海面上昇による影響ではなく(それもあるかも知れませんが)、街がポルトガルによって作られた時代に、あえて水没するよう計算されつくされた都市計画にありました。そう、満潮になると海水が街の石畳を覆うことで、掃除をしてくれる画期的なシステムなのです。かつては馬や牛による糞尿で道が汚れていたからだそうです。
さて17世紀末にはこの近辺から黄金が見つかり、ポルトガル本国への金の独占的な輸出港に指定されたことから、ブラジルはゴールドラッシュを迎えます。その量は当時、全世界における金の産出量のおよそ8割をブラジルが担っていたとされるほどです。そしてその産出地である内陸部から、海外へ運ぶための港町パラチーまでを繋ぐ道が「黄金の道」と呼ばれました。
鉱山労働者としてアフリカから大量の黒人奴隷が流入し、郊外には奴隷市場が開設され、鉱山での必要物資の調達・販売等の商業活動も活発化します。18 世紀後半には、金の産出も減っていきますが、コーヒーの積出港として、独立を挟んで19 世紀後半まで、街は繁栄を続けました。
こうしてこの町はバロック様式の教会群、貴族達の邸宅、海賊対策で築かれた砦などなど、ポルトガル植民地と帝政時代の様子を今に伝える多くの歴史的遺構が完全な形で残されていったのです。
そして対岸のグランデ島にはカイサーラと呼ばれる先住民が暮らす人々とその村が点在しています。彼らはパラチーの植民都市としての生活と異なり、伝統的な漁など、昔からの暮らしを守ろうとしています。
また、こうした文化の一方で、大西洋岸森林地帯と呼ばれるこのエリアでは、海から眺めると、海と山脈の近さに気づきます。乾季のない湿った森に多くの生態系を見る事ができ、世界遺産の構成資産として自然保護区の4か所が含まれます。
これらの森にはジャガー、ペッカリーと呼ばれるイノシシのような動物、ミナミムリキと呼ばれるサルなどの霊長類や、絶滅が危惧されているものも含め、驚くほど多様な動物種が生息しています。
余談ですがパラチーは、映画「トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン」のアイルエスメ(エドワードとベラの新婚旅行の場所)のセットとしても有名になりました。