アンコール(カンボジア)

mrsakchaiによるPixabayからの画像 アンコールワット

※アイキャッチ画像は「mrsakchaiによるPixabayからの画像」

Angkor ( Cambodia ) OUV(i)(ii)(iii)(iv)

1992年世界文化遺産登録

◇さながら屋外都市博物館。クメール建築が織り成す世界!

カンボジア北部のシェムリアップ州には、中世に栄えたクメール王朝の旧都がほぼ200k㎡にわたり広がっており、11~15世紀にかけて栄華を誇った石造建築物群が、北からバンテアイ・スレイ、アンコール、ロリュオスの3エリアとして世界遺産に登録されています。

その遺跡は約400平方キロメートルに及び、数十の寺院、堤防、貯水池、運河等を形成しつつ、さらには通信ルートも確保されていました。古代から中世にかけての都市計画や機能的な面も特異ながらも、その芸術性においても優れいて高く評価されています。

クメール王朝とはどんな王朝だったのでしょうか?

初代国王は802年に即位したジャヤーヴァルマン2世です。彼が即位した場所がプノン・クーレン(クーレン山=ライチの山の意)とされ、アンコールの北東30キロメートルに位置します。

クーレン山はカンボジアにおいて神聖視されており、巡礼に山を訪ねるヒンドゥー教仏教徒が絶えません。それはまさに、古代クメール王朝の発祥であること、そしてこの山がヒンドゥー教の神であるインドラを祀った山としてアンコールの碑文に示されていることから伺えます。

王朝は最盛期にはインドシナ半島の中央部のほとんどを領域とし、12世紀になって、建築熱心な王スーリヤヴァルマン2世によってアンコール・ワット等を築きました。その後14世紀にタイで台頭してきたアユタヤ王朝によって15世紀に滅ぼされるまで、実に600年近く栄えたのがクメール王朝です。

この時代の建築(クメール建築)の特徴は、アンコールワット、バイヨン、プレアカーン、タプロームなどの寺院に表され、例えばレンガや凝灰岩等の石を中心とした素材で、漆喰等の接着材を使わずに積み上げる建築、そして丸い顔、広い眉、その他の身体的特徴など、クメール人の特徴を備えた神や王族の人物像といったレリーフ等に残されている芸術的描写が挙げられるでしょう。現存するクメール建築はそのほとんどがヒンドゥー教や仏教といった宗教建築であることも特徴的であり、専門家によると、さらにそれらの位置関係・セッティングにも特徴があるそうです。

こうしたクメール建築はその傑作性から登録基準ⅰが、そしてその芸術性は東南アジアの大部分に深い影響を与えたとして登録基準ⅱが認められました。

◇一時は危機遺産に。紛争から国際協力の時代へ!

クメール王朝がアユタヤに滅ぼされたあと、1860年にフランス人探検家アンリ・ムーオによって朽ちたアンコールが発見され、一躍世界で脚光を浴びました。フランスはその後アンコールの修復を試みますが、20世紀のポルポト政権下のカンボジア内戦により、修復は中断を余儀なくされます。

そして1992年に世界遺産に登録と同時に危機遺産リストにも登録されるに至るのです。

1992年と言えば、日本が世界遺産条約を批准した年でした。

この頃すでに日本政府は、カンボジア国内の異なる政治的な派閥の和解へ向けての交渉に力を入れており、カンボジアが和平を取り戻し王国の再建に繋がったとされ、そして国際紛争問題から文化財保護にも積極的に貢献するようになっていくのです。

1993年10月、東京で第1回アンコール遺跡救済国際会議が開催されます。その成果の一つが「アンコール遺跡保存修復
国際調整委員会ICC-Angkor
」に関するものです。この委員会はカンボジアでアンコール遺跡保存に関する国際調整委員会を年に2回開催するものとされ、そして委員会運営において日本がユネスコ信託基金を出すこと、またその共同議長をフランスと日本が務めることなどが決まったそうです。

以降、日本は官民学を挙げてアンコールの救済に乗り出します。

1993年から協力事業を開始したのは奈良文化財研究所です。特にアンコール・トム都城跡の中にある西トップ寺院では、日本のクレーン会社タダノ社や、石工の左野勝司さんらの協力も含め、遺跡の修復保存事業と調査研究を展開しています。特に崩壊の危険がある祠堂の解体、そして、それを組み直す事業と調査です。その結果では、大規模な遺構や、金銀の製品など、出土資料も報告されています。

東京文化財研究所は主に、ドローン等を使ったアンコールに位置するタ・ネイ遺跡の保存対策の調査研究をされています。

1997年から1998年にかけては、JICAが主要地域の地形図作成を請け負い、地図が作成され、カンボジア政府に渡されています。

そして早稲田大学の中川武教授を団長とする、日本国政府アンコール遺跡救済チームJASAは、アンコール・ワットやバイヨンなどで経蔵の修復事業、マスタープランの作成などを行ってきました。

上智大学では1996年にシュムリアップにセンターを建造し、修復に関する人材育成を中心に活動され、日本との交換留学を行ったカンボジア人が、学位取得後にカンボジアへ戻って、カンボジア政府のアプサラ機構(アンコール地域遺跡整備機構)や文化芸術省、王立芸術大学などにて、彼らが身に着けた知識や学問を活かして社会へ貢献してもらえるようにしているのです。

世界遺産登録と危機遺産登録から12年後の2004年、主に国立アプサラ機構が自前で保存修復の事業を実施できるようになったという理由で、見事危機遺産リストから脱することが出来ました。

日本のチームが総じて貢献してきたこととして、単に遺跡を修復するだけでなく、その過程がシュムリアップ地域の人々によるものとなるよう、修復文化やあり方を含めた機運や人材育成をしてきたことではないでしょうか。

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