※アイキャッチ画像は「Yerson RetamalによるPixabayからの画像 ラパニュイ国立公園」
Rapa Nui National Park ( Chile ) OUV(i)(iii)(v)
1995年世界文化遺産登録
■南太平洋の絶海の孤島で進化したユニークな文化とその景観
ここは南太平洋に浮かぶおおよそ宮古島くらいの島が、かつて移住してきたポリネシア系の先住民族らがモアイなどの独自の文化と生活様式を根付かせたとして世界遺産に登録されています。
この島はポリネシア系の言葉で「ラパ・ヌイ」と呼ばれ、”大地”あるいは”大きい島”のような意味を持つそうです。のちにやってきたスペイン人は「パスクア島」と呼び、これが復活祭を意味することから、英名では「イースター島」とも呼ばれるようになりました。
余談ですが、世界遺産は今では先住民の言葉を重要視するようになり、オーストラリアの「ガリ(旧フレーザー島)」、カナダの「ピマチオウィン・アキ」なども同様です。
この島の独自の文化と言えば、やはり独特の彫像であるモアイ像。
10~16世紀には祭壇をつくり、人の顔を模した巨大石像モアイを建て、類例のない文化的景観を築いてきました。
モアイ像はものによって差がありますが、高さは3~20m、最大重量は50t、現在約1,000体が発見されています。ただ、その殆どは、16世紀から17世紀に起きた部族抗争で破壊されてしまったのです。
島の東には、かつて主要な中心地として栄えたアフ・トンガリキ地域があります。
島は大きく3つの火山によって形成され、この東側にはそのうちのひとつがあります。大地は火山灰が凝固した凝灰岩でできており、モアイはこの岩から切り出されました。その証拠に、数百体に上るモアイの半数近くは、また石切場に倒れたまま残されているのです。ここが栄えた理由に、凝灰岩が発掘しやすかったのだとか。
ここのモアイも部族抗争や地震によって多くが破壊あるいは倒れてしまいましたが、1990年代に、考古学者らを中心とした学際的なチームの努力によって、アフ・トンガリキは修復されます。
その一つに、チリ政府、チリ大学、日本のクレーン製造会社タダノが協定を結び、1991年から1995年にかけて5年計画の修復作業も実施されました。
なお、モアイ以外にも、洞窟内の壁画や住居跡など、ラパ・ヌイ文化を示すものは沢山あります。
■テレビをきっかけに動いた!モアイ救済プロジェクト。
日本のクレーン製造会社タダノは、ラパヌイの文化をよみがえらせるのに重要な支援を実施しました。
津波や部族間の抗争で倒されたモアイ像を「クレーンがあればモアイ像を起こせるのに」と呼びかけたテレビ番組を社員が目にし「モアイ修復プロジェクト」が発足したのです。
タダノ社は 1991 年から、クレーンを寄贈。チリ政府や考古学者などの協力のもと、1995 年、アフ・トンガリキにある伝説のモアイ像15体が祭壇の上に再び立ちました。さらにその後も寄贈したクレーンも含めると合計3第、現在は島の人々の生活に使われるなど、関係が続いているのだとか。
とても素晴らしい会社ですね!詳しくはタダノ社のウェブサイトをご覧ください。
そんなモアイ、実は研究は進んでもいまだに何のために造られたのかは、諸説あるようです。有力なのが部族長や先祖の霊を祀るためという説です。さらに、もともとモアイ像には目があったという説もあり、この島ではモアイ像に目を入れることで「霊力(マナ)」が宿ると信じられてきました。ですから、モアイ像は集落を守るように建てられているという考えもあるそうです。