ヴェルサイユの宮殿と庭園(フランス)

Denis CheyrouzeによるPixabayからの画像

※アイキャッチ画像は「Denis CheyrouzeによるPixabayからの画像」

Palace and Park of Versailles ( France ) OUV(i)(ii)(vi)

1979年世界遺産登録 2007年軽微な範囲変更

■宮殿と庭園、世界が憧れ模倣した、まさに世界一の宮殿

有名なパリ郊外に位置するヴェルサイユ宮殿は、世界遺産としてはその名の通り、「宮殿」と「庭園」が登録されています。広大な敷地でありつつ、緩衝地域はさらに広大です。

黄色が緩衝地域、オレンジが資産エリア。

とにかく広いので、行く場合はまず、Google Arts & Cultureサイトにて一部エリアのオンライン見学を利用してどこを見るか見当をつけるのがいいでしょう。

Palace of Versailles, Versailles, フランス — Google Arts & Culture

■フランス絶対王政時代を表現したバロック様式の宮殿

宮殿はもともとあった狩猟用の小さな館をルイ14世時代に宮殿へ転換したものです。当初建築を任されたのはフランスの宮廷建築家ルイ・ル・ヴォー。彼の基本設計を中心に建築が進められたが、死後はのちに主席建築家となったジュール・アルドゥアン=マンサールが引き継ぎます。

マンサールは他にもパリの世界遺産「アンヴァリッド」やロワール渓谷にある「シャンボール城」のチャペル等の建築にも携わりました。作り上げたのは当時イタリアやフランスで流行していた柱や楕円形を多く取り入れた華美なバロック様式。主にル・ヴォーがイタリアのバロックからインスピレーションを得て独自に設計したようです。

太陽王と呼ばれた君主”ルイ14世”は「有史以来最大で最も豪華な宮殿」を目指し、50年にわたって増改築して作り上げた宮殿は文字通り世界で類を見ない最高傑作の建築となりました(登録基準ⅰ)

ル・ヴォーの基本設計とマンサールの設計、そして有名なのが宮廷画家であるシャルル・ル・ブランによる室内装飾です。

絶対王政を象徴する内装は「鏡の間」でしょう。ルイ14世の栄光を讃えた天井の装飾画、ブロンズ製の柱頭などが特に知られています。17枚の窓に相対するのは17枚の大きな鏡。578枚の鏡が光に反射して、装飾の豪華さをさらにひきたてているのです。

ル・ブランは他にもパリの世界遺産「ルーヴル宮殿」などの室内装飾にも携わっています。

■庭園に表現された宮廷生活と田園生活の縮図

Aurélien MAILLETによるPixabayからの画像 フランスバロック式庭園オランジェリー

「庭園」はGoogle earthで空から見ると、それはまるで地上絵のように美しく区画化され、幾何学的に設計された広大なものです。これら幾何学的ないわゆるフランス風の庭園は「王の庭師にして庭師の王」と称されたアンドレ・ル・ノートル

彼もまた、パリ郊外の世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿」やイタリア「サヴォイア家の王宮群」の庭園の一部の造園に携わっている有名人です。

写真のように池や泉、河川が多くみられますが、この水はなんと遠く離れたセーヌ河から150mの高低差をクリアして汲み上げて届けているそうです。

dirkgauertによるPixabayからの画像

一方で、広大な敷地の外れに、幾何学的とは逆に田舎の田園風景を模したかのような、どちらかというと日本やイギリス風の庭園があります。

トリアノンはルイ14世、15世の夫人のために建てられた宮殿でしたが、夫人が亡くなったあとは”ルイ16世”が、王妃マリー・アントワネットに土地として周辺も含めて与えた場所です。

アントワネットは慣れない堅苦しい宮廷生活が逃避するかのように、ここで過ごす日が増えていきました。彼女は王妃として初めて土地の所有者となり、大規模な工事に取りかかりました。ルイ15世の植物庭園の大部分も、当時流行の英国・中国式庭園に作り変えます。

そんなアントワネットがプチ・トリアノンの敷地に造ったのが、ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌと呼ばれるイギリスの田舎の風景を模した空間です。

華やかな宮殿生活の裏で、19歳のアントワネットは故郷を思い、ここで子供たちと農村生活を楽しんだとされるストーリーがあります。宮殿内からは反感を買い、一方で民衆からは浪費家として恨まれ、同じく宮廷でありながらも家庭的なオーストリア・ハプスブルク家から来て突然の王妃となった彼女は、パリの世界遺産「コンシェルジェリー」に投獄され、コンコルド広場で斬首の刑となって生涯を閉じます。

世界遺産では、フランス絶対王政の盛衰の歴史を物語る建築として(登録基準ⅵ)が認められています。

また、この壮大な歴史とストーリーをもち、豪華に彩られた建築と庭園は、17~18世紀のヨーロッパ全土で有名になり、ポツダム「サンスーシ宮殿」やストックホルム「ドロットニングホルム宮殿」、イギリス「ウィンザー城」など、様々な建築のインスピレーションやモデル、目指すビジョンのような形で伝わっていった、そういう文化的な交流があったとして(登録基準ⅱ)も認められました。

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