Historic Site of Lyon ( France ) OUV(ii)(iv)
1998年 世界文化遺産登録
◇ローマ時代から続く歴史を、連続性を持たせて残してきた街並み
フランス南東部、ローヌとソーヌ両河の合流点にある歴史地区は、交通の要衝として、2000年に渡って栄えてきたあらゆる時代を反映したアンサンブルとして、その街並みが世界遺産に登録されています。
古くは古代ケルト民の時代から人が住み始め、紀元前1世紀、カエサルの元副官が、「フルヴィエールの丘」に町を築いたことをきっかけに、ガリア3州の首都として栄えていき、歴史が大きく動きます。
例えば、丘の中腹には紀元前15年に築かれたローマ劇場が今も残っています。この円形劇場は観客席1万人、フランス最大の野外ローマ劇場とも言われ、現在も現役です。
丘の上に立つフルヴィエール寺院は、19世紀にリヨン市民の寄付によって建てられ、モザイクや大理石などを多様化した美しい教会で、リヨンの街のシンボルになっています。
丘の麓にあるサン・ジャン大聖堂。11世紀にはフランス全域の首座司教座が置かれ、フランスにおけるキリスト教の中心地としての地位を確立したとされる権威ある聖堂です。フランス王アンリ4世の結婚式の会場にもなったそうです。ゴシック様式も取り入れたバラ模様の窓は特に必見。
この聖堂の近くは、車が通れないような細い道が続きます。
しかし道は目に見えるものだけではありません。
なんと、密集した建物同士の間に、回廊や中庭を伝って他の道へ抜ける”トラブール(抜け道)”が張り巡らされているのです。トラブールの一部は観光客向けにも開放されていて、実際に通れるものもあります。もとは織物業者が品物を雨に濡らさないように使っていたものだったとか。
◇絹産業の発展
トラブールの言い伝えのように、「フルヴィエールの丘」の反対側にある、「クロワ・ルースの丘」は、絹織物を生業にして暮らす職人達の街として栄えた地区です。
絹織物工の家を意味するメゾン・デ・カニュ(カニュ博物館)では、現在でも絹織物が作られており、19世紀から続く機織のための道具や生産過程を見学することもできます。
特に18世紀にここリヨンで生まれた、ジョゼフ・マリー・ジャカール(Joseph Marie Jacquard)の発明により、独自の立体感を生じる”ジャカード生地”が有名です。彼が発明した織機はジャカード織機と呼ばれます。
こうした絹等の織物産業で盛えたため、屋内に大型機械を設置するための高い天井を持った建物が立ち並ぶのが特徴です。先ほどのトラブールは、その織物のデザインが盗み見されないよう、持ち運びするための隠し通路だったとも言われています。
絹と言えば、隣のドローム県に位置するブール・ド・ペアージュ市で生まれ、このリヨンで生糸問屋で勤務していたポール・ブリュナも忘れてはいけません。
彼はその後、横浜の商社に働くことになり、それもきっかけとなって、群馬の世界遺産「富岡製糸場」の設立と運営に大きく寄与することとなります。
ところで、クロワ・ルースの丘の麓には、リヨン市庁舎の前に、市民の憩いの場であるテロ―広場があります。この広場には、フランスのコルマール生まれで、のちにニューヨークの世界遺産「自由の女神像」のデザインを生み出した彫刻家、フレデリック・オーギュスト・バルトルディが手掛けた噴水があります。
その他、歴史的な街並みの一軒一軒も、中世、特に13~15世紀に建てられた家や邸宅、19世紀までの間には教会や聖堂も数多く創られ、ユネスコサイトによればその価値は、
「成長の各段階で、初期の住居の豊かさを維持しながら、東に向かって徐々に拡大していること」
一般的に街が栄える際には、その中心部から古いものが壊され、新しい建築物で埋まっていくものですが、ここリヨンでは、中心部自体が場所を移し、かつての中心部はその時代を残していく、歴史の連続性が街全体で見えることだとされています。