Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue ( Hungary ) OUV(ii)(iv)
1987年世界遺産登録 2002年軽微な範囲変更
■1000年の間にいくつもの異名が誕生した移り変わりが織り成す景観
緩衝地帯を挟み、ドナウ川を含めたドナウ河岸とブダ城地区と、2002年に新たに、1873年の首都ブダペストの誕生を祝して当時の首相アンドラーシによって敷かれたアンドラーシ通りの閑静な住宅街および1876年のハンガリー建国千年記念祭を期して建造された地下鉄が拡大登録され、これら2エリアが世界遺産に登録されてます。
ハンガリーは1000年に”イシュトバーン1世”が戴冠して以来、近隣諸国との戦争に明け暮れた歴史をもち、ここブダに遷都したり、丘陵地に城砦が築かれ、のちにブダ城に発展するなどして、戦争によって変化してきた町とも言えます。特に17世紀終わりから18世紀にかけては、ハプスブルク家の”マリア・テレジア”がハンガリーの女王として即位したことも影響し、一度破壊された町が再建され、現在の景観のベースとなっているのです。
「ブダ王宮」は、14世紀に完成し、増改築を繰り返しながら700 年にわたってハンガリー国王の居城として使用されてきました。特に15世紀後半には“マーチャーシュ1世“のもと、イタリアから招いた彫刻家らによって、ルネサンス様式に改築されました。その後、オスマン帝国による征服の後にブダ城は火薬庫に転用され、1578年頃に爆発事故が起きたため、ほとんどが失われたのです。
現在の王宮の元はオスマン帝国撤退後、17世紀になって建て直され、特に18世紀にはマリア・テレジアの命で大改築が行なわれ、バロック様式の建築に変わります。しかしその後また、第2次世界大戦で破壊され、現在の建築は戦後の再建によるものです。今では国立美術館やブダペスト歴史博物館が入り、ハンガリーの美術品を収蔵されています。また、歴史博物館では、復元された中世のブダの王城の一部や礼拝堂、ゴシック様式の彫刻なども見ることができます。
「マーチャーシュ聖堂」は独特な建築タイルで花模様が装飾された屋根と、ゴシック様式の尖塔を持つ外観が何より特徴的。正式名称は”聖母マリア聖堂”。ブダの主教会で、シシーの愛称で知られる工リザベート王妃がオーストリア=ハンガリー二重帝国のハンガリー王妃として、またハプスブルク家最後の皇帝カール1世など、ほぼ歴代のハンガリー国王の戴冠式がここで行なわれただけでなく、マーチャーシュ1世の2度の結婚式もこの聖堂で行われました。
マーチャーシュ1世は15世紀後半にハンガリーとボヘミアの王として在位し、中世のハンガリーの領土は最盛期に至ったとされています。彼はイタリアから建築家や文化人をブダ王宮に招き、ハンガリーの若者を外国留学させるなどして文化を奨励したほど、ルネサンス文化を好んでいたとされます。マーチャーシュ聖堂の増築にも力を注ぎ、自身の結婚式も執り行ったことから、いつしか彼の名前で呼ばれるようになったそうです。
中世の城壁の上に築かれた7 つの尖塔を持つネオロマネスク様式の城砦、「漁夫の砦」からは、ブダペストを一望できます。
そしてハンガリーで最も豊かな装飾を施された、ゴシックリバイバル建築の外観を表すのが「国会議事堂」です。イギリスの世界遺産ウェストミンスター寺院や国会議事堂にも似てますね。建築家シュティンドル・イムレが設計し、1885 年に着工、1902 年に完成。高さは約100m、「聖イシュトバーン聖堂」とともにブダペストで随一の高さをもつようです。また、ヨーロッパ初の集中冷暖房設備があることでも知られています。
堂内にはハンガリーの聖なる王冠と宝珠や宝剣など、戴冠式に用いた品が保管展示されており、ガイドツアーで見学ができます。
「聖イシュトヴァーン大聖堂」はネオルネサンス様式の教会で、ブダペストでは最大、ハンガリー国内では二番目に大きな教会で、鐘楼の鐘はハンガリー最大級だそうです。
聖イシュトヴァーンはハンガリー初代国王で、「聖なる右手」礼拝堂には、この王の右手が約1,000年安置されており、聖堂の名前も彼の名を冠しています。聖遺物である右手はその後紛失したものの、マリアテレジアによってこの地に戻されたとされます。
国王として彼はハンガリーのキリスト教化を進展させ、また大司教区やいくつもの司教区を設置しました。また修道院には学校をつくり、ラテン語の普及にも努めたそうです。
こうして聖人として扱われるようになり、8月20日は「聖イシュトヴァーンの日」としてハンガリーの祝日に定められているのです。
■実は温泉大国!?ハンガリーの温泉事情
あまり知られていないのすが、ハンガリーは世界に冠たる温泉王国です。火山が無いのに、温泉関係の施設は全国に350 カ所以上もあるとのこと。その種類も温泉病院を併設した治療目的の温泉、オスマントルコとの戦闘が繰り広げられた時代に建設されたトルコ式温泉、夏期だけ開業する温泉プールなど様々!
この地域は地殻が薄く、比較的近いところに熱源があることが原因だとか。ブダ地区には巨大な洞窟が広がり、石灰岩が溶けて空洞になった場所がいくつか眠ります。中にはゲッレールト教会のように、まるでトルコのカッパドキアのような洞窟教会もあります。
こうした環境は古代ローマの時代から発見されて、一部は温泉施設として利用しされてきたといわれています。その後、オスマントルコの影響によるトルコ式温泉が、そして19 世紀には格調高い世紀末建築の中に作られた温泉が、今では癒しや治療効果を追及した近代的温泉やスパが建設されました。
「ゲッレールト温泉」はアールヌーヴォー様式でホテルに併設されています。
ハンガリー建国千年祭を目指し建設された華麗な建築物をはじめ、ハンガリアン・アールヌーヴオー建築、ブダ王宮地区のルネッサンス様式の建物や、追加登録された地下鉄(なんと19世紀に造られたこの地下鉄は世界初とのことです)等も建造され、こうした計画は、高まりゆく近代社会の要請に応えるために行われた、当時の最新の技術設備と結びついた都市計画の適用の代表例としても評価されました。