Historic Villages of Shirakawa-go and Gokayama ( Japan ) OUV(iv)(v)
1995年世界遺産登録
■日本の原風景ともいえる農村文化・生活・暮らしの保存と活用を両輪に取り組む集落。
岐阜県の白川村荻町、富山県の平村相倉、上平村菅沼の三つの集落が世界遺産に登録されています。日本では5つ目の世界遺産登録にして、世界の「伝統的な集落」としても、ハンガリーのホローケー古村落、マリのトンブクトゥに次いでまだ3例目の登録となりました。
かつて”陸の孤島”と言われたこの地域は、その面積の約9割が山林で、それも急勾配の斜面にあり、過半数が国有地のため産業として発展させることが困難だった地域です。
永らく建設業などの二次産業を主な産業としてきましたが、1970年代、高度成長期の国内では便利さを追求し、古い木造家屋がコンクリートやトタンで作り変えられていく風潮が広がっていきました。
こうした危機感も相まって、白川村では合掌造りの伝統的な家屋を保存する活動を始めます。
1971年、「売らない・貸さない・こわさない」の保存3原則を柱に、地域住民が「白川郷荻町集落の自然環境を守る住民憲章」を制定し、荻町住民全員が会員となる「守る会」設立しました。合掌造り家屋の保存・技術の継承、景観の指導・審議など、集落内における景観保存活動の主体的役割を担っています。
こうした活動により、
1976年に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
1995年に世界文化遺産に登録されます。当時はカメラを片手に観光するスタイルが流行しており、観光により村の振興を期待したと、白川村の教育委員会から伺いました。
結果、海外からも注目を集め、今では人口約1,600人の村に年間約215万人が訪れる有名観光地としてブランドを確立し、村の経済を支える柱は観光などの三次産業となっていきます。
■白川村が取り組む課題
一方で、今現在、白川村ではこの観光によって新たな局面を迎えつつあります。
それが訪問者による混雑とマナー違反です。
世界遺産登録後に増え続ける交通量に対し、2000年代から集落内の渋滞対策、交通安全対策について、社会実験を実施。現在は、大型車両については交通規制により徒歩で観光することを推奨しています(一般車両については交通規制を取らず、観光客の自主的な規制を促している)。
しかしそれでも、村のバスターミナルの混雑、ロッカー不足が拍車をかけます。白川村2km手前のインターチェンジの渋滞は、ひどいときは4kmもの長蛇になるのだとか。
特に2024年に第38回を迎えるライトアップイベントは、観光振興の目玉になっており、混雑等の課題に直面し、2019年からイベントの予約制を実施しています。2024年からイベント参加はチケット配布する完全予約制になりました。
コロナを経て今は、日本人観光客と外国人観光客がほぼ同数訪れており、それほど海外からの訪問者からも注目を集めています。
外国人に限ったことではありませんが、こうした訪問者の増加に伴って、村ではごみのポイ捨て、たばこの不始末、写真撮影のための私有地への立ちいりやドローン撮影など、マナー違反も増え、村では様々な対策が進められています。
特に木造建築であることから、火事だけは避けなくてはなりません。村中に整備された放水銃は高台の貯め水からの位置エネルギーを利用して放水する仕組みになっており、火災に気づいたら消防車が到着するまでに村民の手で火消しをする必要があります。
ごみについては村内に焼却炉が無いため、高山市まで運ぶ必要があり、そのコストは膨大。
訪問客のごみは持ち帰っていただくよう、村ではごみ箱の撤去が行われています。
2023年には観光庁が実施する「オーバーツーリズム対策の未然防止による持続可能な観光推進事業」の先駆モデル地域にも採択され、更なる取組が期待されます。
■白川村が守り続けてきたもの
陸の孤島と呼ばれたのは、この地域では特に冬、日本有数の豪雪地帯であり、雪によって周辺との交流を遮断したからです。2月になると積雪が170センチ以上になることも。
白川郷の祖先の人々はこの気候をうまく利用して生活してきました。
例えば耕地となる平地に恵まれず分家することが容易ではなかったため、大家族形態の家族構成だったといわれています。
また、世界遺産登録には、家族を超えて地域に根付く住民同士の相互扶助の営み「結」が高い評価を受けたと言われています。
厳しい環境だったからこそ、昔から個々の家の助け合いと協力があってこそ成り立つものでした。
「結」の心は、例えば合掌造りの茅葺屋根の吹き替えで形にされます。村役場の話では、今では事業者が行うことも珍しく無いようですが、時には村をあげてみんなで協力して行います。その際は老若男女、それぞれの立場で仕事が与えられ、今でこその多様性を受け入れていたとも言えます。
この茅葺屋根、30年に一回の葺き替えが必要で、114棟に上る合掌造りの保全のため、年間3棟分に相当する「茅」は、年間2~3万束を必要とするそうです。
その「茅」、現在は約8割が御殿場からの調達。
自給率向上のため、村内の茅場を増やしています。
同様に自給率でいえば「米」。白川村内の2/3の民宿・旅館で、白川村産の米を使った食事を提供しています。
一方でこの茅も米の原料である稲を育てる田んぼも、景観保存のためにお金もかかります。
茅葺き屋根の葺き替えは一棟あたり700万~1,500万ほどの経費がかかるため、村では家屋所有者に事業費の9割の補助を実施。
ちなみにこの屋根部分、釘は使わず、栗や松の枝やツルで括っており、さらに建物の躯体と結ばれておらず、なんと自重でのっかっているだけだとか。
「守る会」設立から約半世紀、ここまでの道のりはとても険しいかったと想像します。白川村は今もなお、保存と活用の両輪を目指して、取組を続けます。
<白川村の主な構成資産>
合掌造り民家園(萩町):県重文9棟を含む25棟の合掌造りを保存、公開する博物館です。主屋だけでなく、神社やお寺本堂、水車小屋等があり、主屋は屋根裏まで見学できます。なかでも山下家は、白川村に現存する数少ない18世紀の合掌造りです。
旧遠山家住宅(御母衣):萩町から車で少し離れた、御母衣ダムの麓にある旧遠山家。建築年代が1830年頃で、能登の大工によって建てられたものとされます。その後一度改築されたものの、今もなお屋内は煤によって黒光りし、外観もどっしりとした威容を誇っています。1階部分は居住、2〜4層は養蚕スペースとなっており、床下では火薬の原料となる焔硝づくりが明治20年まで行われていました。
明善寺郷土館(萩町):集落内の真宗大谷派の寺院。本堂、庫裏、鐘楼と合掌造りのままなのは他に類を見ない。本堂では、京都の東寺や醍醐寺にもある、浜田泰介画伯の障壁画を見る事ができます。
国指定重要文化財 和田家(萩町):和田家は、世界遺産地区内で最大級クラスの合掌造りであり、唯一国の重要文化財に指定されています。江戸期に名主(庄屋)や番所役人を務めていました。また、白川郷の重要な現金収入であった焔硝の取引によって栄え、他の家よりも格式が高かったようです。なんと現在も住居として生活しながら、1階と2階部分を公開しています。