佐渡の金と繋がる彼の地のストーリー

佐渡奉行所 2026年4月撮影

佐渡に住み、佐渡島の金山を含む多くの文化財、景観、町並み、自然にまつわる人のストーリーまで紐解くと、そこには全国と世界各地との繋がりが見えてきました。

ここではそんな佐渡が生んだ金とそれによって栄えた暮らしが、どのように他の地域に影響を与えてきたのか、またその逆の事象について記したいと思います。

◇大久保長安公と八王子

佐渡島の金山」という、あくまで世界遺産としての価値は、世界では産業革命以降の大規模な近代的な鉱業によって金の採掘から精錬、加工に至る中、江戸時代を中心に手掘り等でそれを大規模に成しえた軌跡が残っている点が評価されています。

佐渡の金は古くは戦国時代から発見されたと記されていますが、特に大規模な鉱山開発となったのは、

1603年 大久保長安(佐渡代官)が、相川の地に奉行所を置き、鉱山との主要道路を整備

したことがターニングポイントです。なお奉行所は国の史跡に指定され、世界遺産の構成資産である国の重要文化的景観に含まれます(ただし奉行所の建築そのものは再現です)。

長安(ながやすと読む)公は、代々猿楽師(≒能楽)の家系で育ち、祖父は奈良の世界遺産「春日大社」で奉仕するほどの人物で、父は武田信玄お抱えの猿楽師だったこともあり、長安公は信玄の家臣となり、鉱山開発や税務などに従事しました。例えば、山梨県の黒川金山の鉱山開発があります。

そして甲斐武田家が滅んだ後、長安は徳川家康の家臣として仕えるようになります。

1591年 長安公は、家康から武蔵国八王子を与えられます。

八王子宿に陣屋を置き、八王子十八人代官を置き、宿場の建設を進め、浅川の氾濫を防ぐために土手”石見土手”を築きました。

また、家康に対して武蔵国の治安維持と国境警備の重要さを指摘し、1599年(慶長4年)には”八王子千人同心”が誕生します。

1600年、関ヶ原の戦後、豊臣氏の支配下にあった佐渡金山や生野銀山などが全て徳川氏の直轄領になると、長安は同年9月に大和代官、10月に島根県の世界遺産「石見銀山」の検分役、そして11月に「佐渡島の金山」接収役となり、佐渡での歴史がスタートするのです。

こうした歴史から、八王子には、石見土手の一部が西八王子に、陣屋跡が”産千代稲荷神社”に残ります。

産千代稲荷神社(八王子)2026年5月撮影 左手に陣屋跡の史蹟が残る
  

実際、八王子では佐渡以上に長安公が篤く親しまれ、長安公の会 や 大久保長安顕彰碑を建てる会 等民間の団体が顕彰しています。前者の会の作成したマップによれば、10数か所の関連遺跡などが八王子にあるのです!

長安公の顕彰碑の除幕式の様子。2026年6月7日に開催され、私も佐渡市長と招待を受けました。

2026年6月7日、八王子市と大久保長安顕彰碑を建てる会を中心に顕彰碑が”富士森の浅間神社”に建てられ、その除幕式に参加しました。この浅間神社も、長安公の命によって建立されたものです。

一方の佐渡には、大久保長安関連の物証はあまり残っていません。再現ではある奉行所を除くと、同じく相川にある、長安公が建てた”大安寺”と、その中に眠る”逆修塔”くらいでしょうか。

今後佐渡市と八王子市、連携して取り組めたらと考えます。

佐渡 大安寺の逆修塔 2026年7月撮影

◇オランダに残る小判

佐渡島の金は、世界有数の金鉱山として高品質の金を大量に生産したとされますが、精錬された金は引き伸ばして小判にするまで、佐渡の島内で行われました。

そしてその小判は、江戸に運ばれ、主に幕府の財政を支えたのですが、鎖国にあった江戸時代においても、長崎出島などを通じて、オランダ東インド会社や明等を経由して世界へと流れていったのです。

実際、オランダのアムステルダムにあるオランダ銀行には、貨幣コレクションをしているのですが、その中に1690年に東インド会社とバタビアを渡ったマークのある佐渡の小判が収蔵されています。

詳細はこちらオランダ銀行のウェブサイトを参照ください。

小判は世界に渡った多くがインゴットにされ、その由来が佐渡なのかどうか、科学的にはほとんど分からないそうです。それでもこうして世界に遺されているのは嬉しいですね。

◇佐渡金山と石見銀山

同じ金銀山(佐渡でも銀も採れました)というだけで十分な共通点はありますが、

①前述したとおり、大久保長安公は1600年、関ヶ原の戦後、豊臣氏の支配下にあった佐渡金山や生野銀山などが全て徳川氏の直轄領になると、10月に「石見銀山」の検分役を担い、そして11月に「佐渡島の金山」接収役を担うという点で、同じ時期に国の直轄領でありました。長安公は初代代官として石見・山吹城に入っていますし、石見銀山にも代官所跡が史跡として残されています。

②世界遺産として石見銀山が大先輩です。その石見銀山を研究した一人に、佐渡の金井(私が住んでいる地区)出身の歴史学者がいました。田中圭一先生です。

彼は調査を進めるうち、故郷である佐渡の金銀山も世界遺産に相応しいのでは?と思うようになり、1997年に彼を会長とした「世界文化遺産を考える会」を設立しました。残念ながら田中氏は佐渡の金山が世界遺産登録される前に亡くなられてしまいますが、その後は「佐渡を世界遺産にする会」へと引き継がれ、そして世界遺産登録後は「佐渡の金山を未来に繋ぐ会」として新たに発足し、今に至ります。

③金銀の精錬方法も似ています。もちろん同じ時代に精錬されていたこともあり、江戸時代は石見銀山も佐渡の鶴子金銀山も、”灰吹き法”による鉛を用いて金銀を分離する方法を使っていたとする証拠が残されています。

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