※アイキャッチ画像は「JOSE MANUEL ALABARCE PAEZによるPixabayからの画像」
Ibiza, Biodiversity and Culture ( Spain ) OUV(ii)(iii)(iv)(ix)(x)
1999年世界複合遺産登録
■今や一大リゾート、そこには自然と文化が育んできた歴史があった
スペイン東部、バレアレス諸島南西部に位置する島、イビサ島と南部のフォルメンテラ島、そして両島の間の海洋が世界遺産に登録されています。
イビサ島は日本でいうところの淡路島と同程度の大きさとされていますが、島内で世界遺産に登録されているのは南部の海岸沿いの3つの歴史地区のほんの一部です。
アイキャッチ画像はイビサ城を含む海岸沿いの町「ダルト・ヴィラ=上の町」、3つの登録エリアのうちの1つです。
石造りの城壁の内部は当初、ワーリーと呼ばれるイスラム教地域の知事の行政や軍事の拠点でした。城壁のうち、正面にはセス・タウレスの門があり、1585年頃に建設されました。門は紋章と帝国の冠で飾られています。
城壁内部には、四角形の塔が9つあり、古いものは12世紀頃から、また16~18世紀の建造物まで幅広く残されています。
イビサ城は16世紀にフェリペ2世によりイタリアから建築家を呼び寄せ、建設が命じられました。その特徴は大砲を載せることのできる陵堡があること。なぜならこの地域は中世以降、トルコやアフリカから海賊が頻繁に襲ってくるようになり、大砲はその防衛用として必要だったのです。
建築当時はゴシック様式で、その後改築されてバロック様式になりました。
城壁内には、他にもサント・ドミンゴ教会や、イビサ大聖堂があります。イビサ大聖堂は1235年、カタルーニャ軍は、イビサの攻略に成功したら寺院を建設すると約束し、イビサモスクがあった場所に聖堂を建設しました。14世紀の当初のゴシック様式の建設は18世紀に改築され、今残るバロック様式を採用しました。外部と内部では大きく印象が異なります。
ダルト・ヴィラのすぐ近くに、2つ目の登録エリア「プッチ・デ・モリンスの古墳群」があります。
城壁の西側の小山に、なんと約5,000もの墓があるとされています。フェニキア人やカルタゴ人は、死後の世界のために必要なものを死者と一緒に棺の中に入れたそうです。英語名ネクロポリスそのものです。
棺の中から、コンスタンティノープルの硬貨やエジプトのフンコロガシの形をした遺物が見つかり、エジプトの死者の世界、ネクロポリスの考え方がここまで広がっていたことがわかります。それらの遺物は、プッチ・デ・モリンスの考古学博物館に展示されています。
イビサは古代ローマの時代、カルタゴ人が建設し、古代ローマ人・アラブ諸族が占領したことから、この考古学博物館では、各時代の建造物が今もなお一部見ることができます。
埋葬室からは首飾り、ブロンズや鉛の道具、発射物、護符、硬貨、そしてイビサのシンボルとなったタニト女神の胸像などが発掘されました。この島を開拓したフェニキア人が残していった塩やブドウ酒、オリーブの恵みは、今なお続いています。
そして西側に離れた3つ目の登録エリアが、イビサの空港近くに位置する「サ・カレタのフェニキア人の入植地跡」。
この地域がフェニキア人によって開拓された記憶として、海の水を引いて塩田を作り、ブドウやオリーブの木を持ってきたといわれています。当時、食料の保存に欠かせない塩は、”白い金”と呼ばれていたほど貴重な資源でした。
さまざまな人種に統治されてきたイビサ島ですが、その時代の多くにおいて、自治権が与えられていました。ダルト・ヴィラの城壁の外には漁師や商人が住み、活気があり、にぎわっていたことが、今の観光地としての華やかさからも簡単に想像できます。
そして4つ目の登録エリアが、フォルメンテラ島に至るまでの海洋部分「自然地域」です。地中海地域に固有の貴重な植物生態系が見られる。またモンクアザラシなど3種の絶滅の危機に瀕している動物、205種の鳥類、56種の無脊椎動物、その他の生物多様性に恵まれています。
ポシドニアと呼ばれる海洋植物は、以前は地中海近海ではどこにでも生育していたそうです。しかし、近年ではイタリア沿岸からどんどん消滅しているとのこと。ポシドニアは、光合成をし、私たちにたくさんの酸素を供給してくれます。
また地質学的に重要な無数の洞穴も存在することが評価され、複合遺産に登録されました。