古都ホイアン(ベトナム)

PennyによるPixabayからの画像 ホイアン

※アイキャッチ画像は「PennyによるPixabayからの画像」

Hoi An Ancient Town ( Viet Nam )  OUV(ii)(v)

1999年 世界文化遺産登録

■アジアの貿易中継地、今も変わらない往時の生活と町並み

ベトナム中部、南北に伸びる国土のちょうど真ん中、トゥボン川河口の都市ホイアンのうち、旧市街としての一部エリアが世界遺産に登録されています。

16世紀末、グエン朝の貿易奨励策により朱印船(徳川将軍の朱印の押した渡航許可状を携えて貿易を行った船)をはじめとし、外国船の入港が活発となり、17世紀には大貿易港となって最盛期には1,000人以上の日本人居住者がいた日本人町・中国人町が形成された町です。

遡れば、もともとホイアンは2000年以上にわたる歴史を持っており、特に3世紀にはチャンパ王国の主要な港湾都市として(香辛料交易の中心地として)、中国の商人の町として、何世紀にも渡って繁栄してきました。そのため、ベトナム、中国、日本、そしてヨーロッパのあらゆる人種のるつぼとなり、現在を形成しています。

特に旧市街の古民家は、当時の建築の影響が今も残っています。「タン・キーの邸宅」はその代表例の一つです。

通りに面した家の入口は狭くて奥に長い造りで、屋根は陰陽のタイルで覆われています。家のファサードは出店になっており、裏口は商品を輸出入するための川が流れています。中国の建築様式が取り入れられ、内部は黒を基調とし、壁の彫刻や欄間の緻密な彫刻等の丁寧な細工があちこちに見ることができます。そして家族の憩いの場である中庭があるのです。

私はこの建築は日本でも例えば高山市の古い町並みにも似たものを感じます。

18世紀に建てられたタン・キー宅は、現在も個人の邸宅として家族が住んでいるそうです。

こうした家屋が旧市街では、通り沿いに軒を連ね、夜になるとランタンの光が柔らかく輝くエリアに変わります。

VinedによるPixabayからの画像 ホイアン 日本橋

■国際協力により保存される日本橋

1991年以降、日本も文化庁がホイアン旧市街の町並み保存に技術協力を始めており、2022年から「日本橋」の修復も始まります。2023年は日越国交関係樹立50周年の記念すべき年でもあり、日本橋は20,000ドンの紙幣にも使われました。

文化庁によれば、文化庁はJICA等へ技術者推薦依頼をし、昭和女子大の友田教授をはじめ、様々な技術者を派遣。ベトナムの文化スポーツ観光省やホイアン事業者と修復に当たったそうです。

日本橋は長さ約20m、幅約3mと、橋としてはとても小さいものであり、レンガの基礎と木軸と瓦の屋根で作られています。

修理はこの基礎の部分が沈下して傾き、木造の軸が歪んでしまったこと、そして屋根の葺き替えが必要であったこと、主に3つの部分を直すこととなったそうですが、難しいのは工事中も橋としての機能は維持しつつ、通行可能にすることだったそうです。

ほとんどの部分を直すことから、まずは解体して素材の確認が必要です(直近の修復が1986年でベトナムでの文化財指定前だったとのこと)。

技術者は日本から協力したものの、直すのはベトナム人。日本の橋として日本の木造修復の伝授とともに、ベトナムの伝統技術への敬意と、理解を得なければいけません。複数回の派遣と現地での協議も含め、文化庁によれば得られたものは双方に大きかったとのことでした。

日本橋は世界で唯一、仏教寺院のある屋根付き橋であり、地域住民の心の拠り所となっています。

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