フランク・ロイド・ライトの20世紀建築(アメリカ)

pixabayからの画像「fallingwater-1626579_1280」落水荘

※アイキャッチ画像は「pixabayからの画像fallingwater-1626579_1280」

The 20th-Century Architecture of Frank Lloyd Wright ( United States of America ) OUV(ii)

2019年 世界文化遺産登録

◇オープンプランによる居住空間に吹き込んだ新しい風

フランク・ロイド・ライトが20世紀前半に手掛けた、アメリカの東西に点在する8軒の建築がまとめて1つの世界遺産として登録されています。

これらの建物が世界遺産として評価されたのは、登録基準ⅱ(文化の交流)であるように、20世紀前半に世界規模で建築に影響を与えた、建築における重要な交流を示しているとされます。

アメリカに端を発し、当時の一般的な建築様式に対して、新しい素材と技術を利用しながらも、自然の原理にも触発されつつ、アメリカだけでなくヨーロッパの近代建築にも大きな影響を与え、さらには中南米、オーストラリア、そして日本でもその影響を見ることができます。

ライトが開発した「有機的な建築」の特徴は、”オープンプラン”(住居の内部を固定した壁などで区切らず、間仕切りを少なく、必要に応じて間仕切りを変え、多目的に使えるようにした設計法)、外部と内部の境界の曖昧さ、鉄骨やコンクリートなどの前例のない材料の使用、そして”プレーリースタイル”という背が低く横に広く景観を邪魔しない構造などが相当します。

それらによって、建築は居住だけでなく、礼拝所、仕事場、レジャー施設といった生活様式の様々なニーズに応える革新的な建築が誕生していったのです。

彼が設計図をおこした建築1,000を超え、実際に建築されたのは400、そのほとんどがアメリカ国内にあるそうですが、世界遺産に登録されているのは以下8つの建築です。

ユニティ・テンプル(イリノイ州)
フレデリック・C・ロビー邸(イリノイ州)
タリエセン(ウィスコンシン州)
ホーリーホリック邸(カリフォルニア州、ロサンゼルス)
落水荘(ペンシルバニア州)
ハーバートとカタリーヌジェイコブの家(ウィスコンシン州)
西タリエセン(アリゾナ州)
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)

Kai PilgerによるPixabayからの画像 グッゲンハイム美術館

◇近代建築の三大巨匠との対比

フランク・ロイド・ライトは、ル・コルビュジエミース・ファン・デル・ローエと並んで「近代建築の三大巨匠」、あるいはヴァルター・グロピウスを含めて四大巨匠と呼ばれています。

ICOMOSの評価によると、他の巨匠と比較しつつ、ライトの特徴を3つの属性(切り口)で説明しています。

属性1:幾何学的抽象化と空間操作による、機能的および感情的ニーズに応える建築の創造

ライトは、デ・スティルなどの運動、あるいはル・コルビュジエ、ミース、グロピウスといった、オープンプランの作品を制作した建築家たちに大きな影響を与えた。相違点は、より知的な目的(ル・コルビュジエ)、感情的な効果の少なさ(ミース)、そして合理主義と簡素さ(グロピウス)にある。8つの建築は、その機能的効果と感情的効果の両面において、幾何学的な抽象表現を非常に一貫して用いている点である。

属性2:自然の形態と原理に着想を得たデザイン

一般的に自然界とのつながりから次第に遠ざかっていった時代とされていた20世紀に、アール・ヌーヴォーやガウディの作品群といった運動は、自然をインスピレーションの源として用いた。一方ライトの作品は、自然の形態と原理を一貫して参照しながらも、抽象化された形で、そして常に素材の使用と融合している点が特徴的。

属性3:変化するアメリカに応える建築

20世紀の他の多くの建築家は、クライアントの希望やニーズに合わせた個別のプログラムではなく、集団的な利用者に向けられることが多かった中、ライトは普遍的な回答ではなく、アメリカの国境を越え、現代生活における機能的かつ感情的なニーズに適合する解決策を生み出していった点が特徴的。

これら3つの属性すべてが取り入れられた建築群は他の近代建築には見られないということのようです。

◇ライトはどんな人物だったのか?

フランク・ロイド・ライトは、1867年にアメリカ合衆国ウィスコンシン州で、牧師の父と元教師の母との間に第一子として誕生しました。

建築家としての大きな転機は、彼が勤務した建築事務所「アドラー=サリヴァン事務所」で、ライトが生涯にわたり尊敬し影響を受けた師匠とされる、ルイス・サリヴァンに出会ったことでしょう。

サリヴァンは”シカゴ派”の建築家と呼ばれ、これは1871年のシカゴ大火によって軒並み木造住宅が焼け野原になり、復興の過程でコンクリートや鉄骨、そしてエレベーターを使った高層の建築が主流になった時代に活躍した建築家を指します。

ライトの才能はどんどん開花され、住宅設計の仕事を任せられていきます。

自由学園明日館」の館長曰く、サリヴァンは手書きの図面に卓越しており、ライトは師として仰ぐ一方で、それには敵わないとして、定規やコンパスの道具で図面を起こすことに長けていったそうです。

1893年に独立すると、個人事務所を設立してからはじめて手がけた建築が、シカゴ近郊にある「ウィンズロー邸」です。こうした初期の建築には、建物の高さを抑え水平線を協調した先のプレイリースタイルを確立します。

当時のアメリカでは、木造の2階建ての背が高く、白とパステルカラーのアメリカンスタイルが中心であったため、革新的だったと言えるでしょう。

そんな彼は建築界ではどのような人物だったのか。

実は先の他の巨匠と比べて、ライトは20も年上。

さぞかし先輩風を吹かせていたかと思うと、一部の記事には、他の巨匠との交流はあったようですが、そう多くはなく、むしろ彼らの建築を批判していたとか・・・プライドの高さか、あるいは激励の意味があったのか、気になりますね。

◇日本におけるインスピレーション

ライトが設計した建築のうち、現存するのはアメリカ本土を除けば、日本のみとされます。

自由学園明日館」の館長曰く、ライトは1893年に開催されたシカゴ万博における、日本館「鳳凰殿」(平等院鳳凰堂を模した建築)を見て、日本に非常に関心を持ったようです。また、浮世絵にも興味をもち、アメリカ国内でも啓蒙していたようです。

実際に来日して多くの日本建築を巡り、インスピレーションを受けた建築が生まれていきました。

例えば、世界遺産で最も古く建築したのが、世界遺産「ユニティ・テンプル」。教会でありながらも十字架を置かず、外観も内装も通常の聖堂と一線を画しますが、平面図はまるで日本の神社建築で見られる「権現造り」とそっくり。権現づくりが拝殿と本殿を石の間や幣殿でつなぐように、聖堂と日曜学校をホワイエでつなぐ構図をしています。

世界遺産「フレデリック・C・ロビー邸」の屋根の造りも神社建築に見られるものと似ているようにも見えます。

そして逆に、ライトの建築様式は日本にも大きな影響を与えました。

世界遺産「タリエセン」では、当時建築学校としても機能し、ライト自ら教鞭を執りましたが、学生には日本人建築家の遠藤新もいました。彼は後に日比谷の帝国ホテルの建築を任されたライトの助手をしながら、開業後は支配人を務めました。よって帝国ホテルはライトと遠藤新のDNAが引き継がれていると言えるでしょう。

これも含めて、日本に現存するライトの建築は主に以下4件。

・旧林愛作邸

・旧帝国ホテル(ライトの建築部分は一部が明治村に移設し、日比谷に現存するのはほとんど当初のものと異なる)

・旧山邑邸(重要文化財)

・自由学園明日館(重要文化財)

◇自由学園明日館(池袋)について

1921年(大正10年)、羽仁もと子、吉一夫妻が創立した自由学園の校舎として、ライトの設計により建設されました。羽仁もと子は当時、女性が働くのが珍しかった時代に、女性初のジャーナリストとして活躍し、家庭でも”家計簿”という概念を初めてもたらしたとされる人物です。

そんな彼女が必要としたのは、わが子が社会で働けるための学校づくり。そこで学校建設に相談をした遠藤新は、当時一緒に帝国ホテルを建設していたライトを推薦しました。

2025年8月撮影 明日館 外観

前庭に臨むホールの大きな窓は、明日館の顔ともいえる部分です。エントランスの天井が低く、狭さと暗さを感じる一方で、ホールに出ると一転、大きな窓から差し込む光と高い天井に解放感に包まれます。

ホールに置かれたこの椅子、食堂の椅子やランプのデザインは非常に特徴的でした。

ライトもしくは遠藤がデザインしたと考えられているそうですが、いずれにしてもライトは家具も建物の一部と考えており、建物の設計図には必ず家具も入れていたそうです。

食堂のデザインは見事なものでした。

2025年8月撮影 明日館 食堂

全校生徒が集まり手作りのあたたかい昼食をいただくことは、羽仁夫妻が願った教育の基本だったようです。

明日館のウェブサイトには、以下のような言葉が書かれています。

―ライトは開校を祝し次のような言葉を寄せました。「その名の自由学園にふさわしく自由なる心こそ、この小さき校舎の意匠の基調であります。幸福なる子女の、簡素にしてしかも楽しき園。かざらず、真率(しんそつ)なる。(中略)生徒はいかにも、校舎に咲いた花にも見えます。木も花も本来一つ。そのように、校舎も生徒もまた一つに。」

現在、明日館は学校としての機能こそしていないものの、建物は使ってこそ維持保存ができると考えられ、使いながら文化財価値を保存する「動態保存」のモデルとして運営されています。

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