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Petra ( Jordan ) OUV(i)(iii)(iv)
1985年世界文化遺産登録
◇卓越した水利システムと摩崖技術
ヨルダンの首都アンマンの南東、紀元前2世紀頃に、隊商の民ナバテア人が自然の岩山を堀り抜いてつくった都が世界遺産に登録されています。
ナバテア人は、かつてこのペトラの地に住んでいたエドム人を排除して、隊商貿易によって築いた富によって造り上げた民族です。ナバテア王国の建国から、ローマの属州となり、消滅するまでの間は300年弱と、そう長い歴史ではありませんが、アッシリアやヘレニズム、そしてローマ等の周辺国の影響を受けて、砂漠にあって高度に発達した文明とも言えるでしょう。
ペトラに定住し、王国を築くにあたって、重要視されたのが水の確保、つまり水利システムの確立です。
砂漠という過酷な環境下で、ナバテア人は、周囲の岩山からわずかな雨水を集め、都市全体へ供給する精密な水路網を構築していました。その証拠として、遺跡の壁沿いをよく見ると、テラコッタ製の土管や、岩をくり抜いた水路の跡が残っています。遠く離れた泉から水を運び、貯水池や公共の噴水に供給していたのです。
当時のペトラには緑豊かな庭園があったとすら言われています。
世界遺産としての価値には、こうした残存する水路、トンネル、取水ダムと、季節的な雨を制御・保存する広範な貯水槽や貯水池のネットワーク、そして銅鉱山、寺院、教会、その他の公共建築物を含む広範な考古学的遺構が存在していることです。
ペトラへの唯一の入り口である”シーク”は、高さ80メートルもの断崖が1.2キロメートルにわたって続く狭い岩の裂け目。太陽の光を受けて温まった岩がローズ色へと色を変えるため、バラ色の都市とも称されます。そして自然が造り出した地形ですが、ナバテア人は天然の防衛システムとして巧みに利用しました。
シークを抜けた先に、暗闇から光溢れる ”エル・カズネ(宝物殿)” が姿を現す演出効果も大きいでしょう。
エル・カズネは映画「インディアナ・ジョーンズ」でモデルになり有名になった建築でもありますが、一目見て分かるように、ローマの列柱などがファサードに表れています。しかしこれが石を積み上げたのではなく、一つの岩山を削って造られている点が大きくことなります。
削り方は、岩山の頂上から下に向かって、原始的なノミと槌だけで削り進めていたそうです。こうした建築と芸術性も評価されています。
なおシークの入り口には、ペトラの歴史やナバテア人の生活、文明に関する情報が5つのホールで展示されたペトラ博物館があります。
この博物館は、JICAの支援のもと、ペトラ観光開発庁ともに、単なる芸術品や遺跡を集めた博物館ではなく、地域そのものを縮図とした「地域博物館」として機能すべく作られました。