ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑(ポーランド)

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Wieliczka and Bochnia Royal Salt Mines (Poland)  OUV (iv)

1978年世界遺産登録 2008年、2013年範囲拡大

■世界で最初に登録された世界遺産のひとつ

クラクフ近郊はおよそ2,000万年前海であり、地殻変動によって広大な岩塩層が生じました。10世紀頃には岩塩があったことが判明し、中世ポーランドでは「白い金」と呼ばれるほど、ポーランド王国の財源として扱われてきたのです。

岩塩坑として13世紀から20世紀まで700年近く続いた坑道の最深部は地下375m、総延長300kmまで広がり、岩塩坑の採掘の仕方から坑夫たちの生活、そして製錬過程がヨーロッパ諸国の岩塩発掘の歴史上、重要な発展を与えた点(登録基準ⅳ)が評価され、世界遺産になりました。

世界遺産に登録されているのは3か所で、ヴィエリチカ岩塩坑・ボフニア岩塩坑・ヴィエリチカ岩塩製錬所ですが、最後2か所は2013年に範囲拡大によって加えられましたが、ヴィエリチカ岩塩坑は、1978年、世界で最初に世界遺産に登録されたものの一つです。

※その他最初の世界遺産11件をご覧になられたい方はコチラ。

岩塩坑内のレリーフには、世界遺産のモニュメントがありますが、そのロゴの内部には、下記の写真のように世界最初の12件の世界遺産が書かれています。

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■壁画からシャンデリアまで!岩塩でできた地下世界

世界遺産に登録された評価に、坑道で働いた坑夫たちの生活(労働)環境が挙げられています。鉱山や炭坑なども含め、この岩塩坑で働く坑夫たちは常に危険と隣り合わせの生活(労働)でした。

そんな精神的にも追いつめられる過酷な環境で、彼らはポーランドの聖女キンガに祈りを捧げ、ヴィエリチカ岩塩坑の岩塩発掘後に空洞となったところに「聖キンガ礼拝堂」を築いたのです。

提供写真 聖キンガ礼拝堂 岩塩のシャンデリア

キンガはハンガリー王国の長女として生まれましたが、政略的にポーランドの王妃となります。ただ結婚に気乗りしなかったため、婚約指輪をハンガリー国内の岩塩坑に投げ捨てました。

ところが王妃となったキンガがヴィエリチカに赴くと、捨てたはずの指輪がなぜかそこから出てきたため、その地下を掘るように命じたところ、広大な岩塩層が見つかった、という伝説があります。指輪が繋がったのは、ハンガリーの岩塩が、輸出時に一時ヴィエリチカに保管されていたためだそうです。

そんなキンガに祈りを捧げながら坑夫たちが作り上げた礼拝堂には、岩塩でできた「最後の晩餐」のレリーフや、なんと岩塩でできたシャンデリアまで見ることができるんです!

提供写真 最後の晩餐レリーフ
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