プラハ歴史地区(チェコ共和国)

提供画像 プラハ

Historic Centre of Prague ( Czechia ) OUV(ii)(iv)(vi)

1992年世界文化遺産 2012年軽微な範囲変更

■神聖ローマ帝国の栄華を誇る中世の街並み

ヴルタヴァ河畔に広がるチェコの首都の中心部、プラハの歴史地区と、郊外のプルーホニツェ公園の2つが世界遺産に登録されています。

チェコの首都であり、中欧で最大規模の都市でありつつ、プラハは古い町並み・建物が数多く現存しており、例えばカレル大学は中欧最古の大学ともいわれ、歴史ある尖塔が多くあることから「百塔のプラハ」とも呼ばれます。

その歴史は6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成された頃に始まるとされます。この町の中心ともいえるプラハ城が建てられたのが9世紀後半。そして14世紀にボヘミア王のカレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれると、神聖ローマ帝国の首都がプラハに移り、プラハ城の拡張や、王の名を冠したカレル大学、カレル橋の建設が進み、急速に発展していったのです。

何といってもプラハの魅力は、バロック様式の建築。

カレル橋のほど近くに、1715-1720年の間に造られたヴルトボフスカー庭園は、プラハ城の最高城伯であるヤン・ヨセフによって、造られました。何世紀もの間に多くの手が加えられてゆきましたが、庭園は元々のスタイルを維持し続けた、イタリアンバロック

ギャラリーは、現代芸術や国外の芸術家の作品を展示することにも使われていますが、ホールを結婚式等に利用することも可能で、隣接するホテルAriaの宿泊客は庭園への特別な出入りが可能で、泊まっているスイート・ルームから直接庭園に入れるそうです。

庭園と言えば、旧市街から少し離れた位置に世界遺産に登録されているプルーホニツェ公園があります。

春は花開き、特にツツジのコレクションは圧巻で、その数は100品種以上約8,000株にのぼるとか。

旧市街に戻って、バロック彫刻の豊富な装飾が”カレル橋”。

カレル橋はボヘミア国王兼神聖ローマ皇帝カレル4世により建築が始められました。橋の建設の際には卵とワインと牛乳を加えたモルタルが使われたとも言われ、幾世紀もの風雪に耐えうる安定した橋を建造するためとされています。

そして9世紀に造られたプラハ城。建造には諸説あるそうですが、ボヘミア王や神聖ローマ皇帝の居城でした。左右にはゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院に挟まれ、宮殿、庭園、尖塔が複合的に構成されています。

こうしたバロック様式やロマネスク、ゴシック、ロココなど各時代の建築物が競い建っていて、14世紀半ばの神聖ローマ皇帝カール4世の時代に栄華を極めたプラハの歴史を物語っています。

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