ペルセポリス(イラン)

baghramian0 ペルセポリス

※アイキャッチ画像は「baghramian0によるpixabayからの画像」

Persepolis ( Iran ) OUV(i)(iii)(vi)

1979年世界遺産登録

■かつて存在したペルシア最大の都市遺構

ペルセポリスとは、イラン南部の、かつてのアケメネス王朝の都であり、かつペルシア最大の規模であった都を指し、その遺構が世界遺産に登録されています。

時代は紀元前500年ごろ、かの有名なアケメネス朝ペルシアの”ダレイオス1世”の時代に黄金期を迎え、この地に宮殿などの建築が始まります。王宮最大の建築が「謁見殿」で。60m四方の広間に36本の円柱で支えられた建築で、各国との謁見や祭事に使われたそうです。

有名なのは「新年の大祭」として、古代ペルシアでの1年の始まりは春分の日とされ、この日に各国からの代表が貢物を携えて謁見に訪れていたようで、その様子が正面階段の壁などに描かれています。

この時代のアケメネス朝の王都は他にもあり、王家は冬は「バビロニア」夏はエクバタナ、春は「スーサ」で過ごしたそうです。その他アケメネス朝の創設者であるキュロス二世が築き、墓も残る「パサルガダエ」など、世界遺産に登録されている都市も含まれます。

そんな栄華を誇ったアケメネス朝も、紀元前330年頃に始まった、ギリシャ・マケドニアの”アレクサンドロス大王”率いるギリシャ連合軍との戦によって、侵入を許し、ついにはペルセポリスも破壊され、王宮内のあらゆる財宝を略奪されたそうです。

アケメネス朝ペルシア時代にはゾロアスター教(拝火教)がペルシアの多くの地での中心的宗教として信仰され、玉座のレリーフにもそれが見て取れるようです。特にダレイオス1世は多くの碑文を残し、自ら「(神)アフラ・マズダーの恵みによって、王となりえた」を意味する告知を記していたようです。

拝火教はその後ササン朝ペルシア等、時代と共に引き継がれ、同じイランの「ペルシア庭園」やアゼルバイジャンの「バクー」にも影響していきます。

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