城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔(アゼルバイジャン)

提供写真

Walled City of Baku with the Shirvanshah’s Palace and Maiden Tower ( Azerbaijan ) OUV (ⅳ)

2000年世界文化遺産登録 2003-2009年危機遺産

■アジアと西洋、そしてロシアの影響を受けて独自に発展した都市景観

カスピ海の西端にあるアプシェロン半島にそびえ立つ、首都バクーの城壁都市の城壁内部が世界遺産に登録されています。

一方、石造りの城壁、シェマハ門等で守られた旧市街「イチェリ・シャハル」はまだ日干し煉瓦等でつくられた昔ながらの街並みが保存されており、内部の建築が世界遺産の構成資産として登録されています。

この地域は、旧石器時代から人が住んでいたとされますが、都市として発展したのは1385年、イスラムの王朝であるシルヴァン・シャー朝の首都となった頃からでした。 

それから16世紀に至るまでを中心に、要塞の壁、「乙女の塔」、その他数多くの建築が建設されました。特にシルクロードを含む交易路上の戦略的な位置にあったため、更なる繁栄をもたらし、キャラバンサライ、ハマム(浴場)、モスクなどの公共施設が建設されていきます。

こうした文化の交流の歴史から、ゾロアスター教、サーサーン朝、アラビア語、ペルシャ語、シルワーニ語、オスマン帝国、そしてロシアといった様々な宗教、言語、そして文化が入り混じった独自の都市景観を生み出したとして、登録基準ⅳが認められました。

1800 年代後半にはバクーで石油ブームが始まり、市は一気に近代都市へと変貌。イチェリ・シャハルの城壁の外壁は解体され、城壁間の堀は埋められましたが、城壁内はこうして今も往時の建築が残されています。

<イチェリ・シャハル旧市街>

干しレンガ造りの建物や入り組んだ小路といった伝統的な街並みが残されています。旧市街内には世界遺産である乙女の塔やシルヴァンシャー宮殿、ムハンマド・モスクなどがあります。ササン朝ペルシアやアラブを始め、多様な文化の影響を受けた街並みが続きます。

提供写真 城壁内部

<乙女の塔 Maiden’s Tower

「グズガラスゥ」の名で親しまれるバクーのシンボル。拝火教寺院として最初に塔が建てられたのは紀元前5世紀のことで、塔は要塞の役割を果たしていたようです。 高さは30メートル。塔の名前の由来には望まない結婚を強要された少女がこの塔からカスピ海に身を投げたため、など諸説があるようです。
現在はバクーや塔の歴史に触れられる小さな博物館となっています。

<シルヴァンシャー宮殿>

15世紀建造。ディワンハーネ、ハーレム、ハマム、そしてモスクなどから形成され、16世紀までこの地を支配したシルヴァンシャー朝の王宮として使用されていました。2000年のバクー大地震により2003-2009年の間は危機遺産となりましたが、その後の復旧工事が行われ危機遺産リストから脱しています。

提供写真 シルヴァンシャー宮殿
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