タージ・マハル(インド)

2013年撮影

Taj Mahal (India)  OUV (ⅰ)

1983年世界遺産登録

■愛する王妃のために造った霊廟

インドの西に位置する地域、アーグラ。ここはムスリムが征服する以前の歴史は定かではありませんが、中世ムガール帝国の3代皇帝アクバルの時代に城「アーグラ城」を作り、首都を移し「ファテープルシークリー」、大きな街になっていきました。

そして第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代にはインド・イスラム文化が最も開花し、彼によって様々な建築が命ぜられました。アーグラ城を改築させ、デリーに「レッドフォート」(デリー城)を建築し、そしてタージマハルの建築を命じたのです。

彼には多くの后がいましたが、特にムムタージ・マハルには溺愛していたとされ、間に14人も子供をもうけたそうです。14人・・・想像するだけで大変そうですが、そして14人目の子供を産んだ時に深刻な病にかかり、亡くなってしまいます。

ムムタージが亡くなったあとひどく落ち込み、2年の快楽の断絶、金曜には白い服をきてお墓への参拝をしたと言われています。

彼女が亡くなったあとの墓は2度移されたそうですが、3度目のお墓として記念建造物を検討しました。多くのデザインの中から選ばれたのが現在のタージ・マハルです。1632年着工とされています。

2010年撮影

■夢に終わった黒のタージマハル

これまでインドの城をはじめとした建築には赤レンガを使用したものが多く、それは同じ世界遺産の「アーグラ城」や「フマユーン廟」、そしてタージマハル敷地内のモスク等などにも見て取れます。

しかしシャージャハーンが特に好んだのは白亜の大理石。アーグラ城にも彼が増改築した部分に使われています。

そして最愛のムムタージのために建てた霊廟タージマハルも、やはり大理石でした。

大理石はラージャスタン州のジャイプールから切り出し、赤砂岩はファテープルシークリーから運び出し、2万人の労働力をもってして20年かけて作ったとされます。

実際に近づいてみると、真っ白というより少し黄ばみがありますが、これは大気汚染や酸性雨による汚れや劣化が原因とされ、問題になっています。しかし実際に白く見えるのは、大理石の上に宝石をはめ込んで模様を作っていて、その濃淡によって白く見えるようでした。

これらの宝石による模様には一部コーランの教えが書かれているそうです。同様にドームを中心にして4本の尖塔はミナレットと呼ばれ、トルコの「アヤソフィヤ」に代表されるようなイスラム建築の象徴があります。

しかしインドでは建物の四角にチャハトリと呼ばれるドーム型の小楼が置かれます。タージマハルのミナレットの頂にはチャハトリが見られることから、インド・イスラムの融合が見て取れます。

2010年撮影 庭園の中心の泉

また霊廟の前にある庭園もペルシャ式の四分庭園。上空からみると漢字の田のように4等分されており、さらにその1つの正方形がまた4等分されています。

この庭園にひかれた水は、タージマハルの裏に流れるヤムナー川から給水しているそうですが、実はこの対岸側に、シャージャハーン自らの霊廟、それも黒色の同一のものを作り、いつまでもムムタージを眺めることができるように考えていたそうです。

確かに実際に訪れると、対岸には建設途中と思われる敷地を見ることができます。実現できなかったことは残念ですが、夢のある話だと思いました。

2010年撮影 ヤムナー川対岸
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