ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)

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Historic Centre of Bukhara ( Uzbekistan ) OUV(ii)(iv)(vi)

1993年世界遺産登録 2016年軽微な範囲変更

■ムスリムによって聖なるブハラと呼ばれる街

シルクロードの途上に位置するブハラは、2000 年以上の古い歴史をもつ都市です。紀元前からペルシア帝国の影響をうけ、8世紀頃にはイスラムの支配下に変わり、サマルカンドに代わって中心都市になった時代もあり、19世紀以降はロシアの影響を受け、ウズベキスタンの一都市へと変わっていきます。

こうした中央アジアの面影を残している中で、特に10 世紀ごろのサーマーン朝の建築や 16, 17 世紀に設立された数多くの神学校等の建造物が現存し、今なお中世中央アジアの歴史地区として景観をみることができます。

サーマーン朝は9-10世紀を中心とした短い王朝でしたが、イスラム化前のイラン文化の復興を推進し、国王ナスル2世の時代はペルシア文化の保護と奨励に力を注ぎ、王朝の文化的・政治的発展の最盛期を迎えたそうです。サーマーン朝の歴代の王族の墓が「イスマーイール・サーマーニ廟 」として残されています。

一辺が約10mの立方体の上にドームが乗った形で、全体は小さめですが、廟は外観と内装両方の美しさを評価されて宝石箱にも例えられていて、月の光に照らして見た姿が最も美しいと言われているそうです。

また、15-16世紀に再興したシャイバーニー朝の建築も数多く残し、特に世界遺産としては個々の歴史的建造物ではなく、この王朝の高度で透徹した都市計画と建築技術を今に伝えている点に価値があるとされています。

ブハラの再開発によってモスクやマドラサ、公衆浴場、商店街が建設され、この地方を支配した歴代の王朝はブハラを首都としました。特に中央アジアにおけるイスラム教学の中心地に発展し”聖なるブハラ”と呼ばれるようになったブハラは各地から多くのムスリムが訪れる宗教都市にもなっていったのです。

シャイバーニー朝を含む16~20世紀の歴代王の居城となった「アルク城」は、時代と共に増改築されましたが、古い部分は紀元前から続くとされ、ブハラの建築で最も古いものの一つとも言われています。チンギスハンによって城は破壊され、さらにソ連による爆撃により、現存するのは一部のみだそうです。

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世界遺産委員会では定期的に保全状況の報告がなされており、その中でも資産範囲周辺地域において観光開発を推進する国家事業「ブハラ歴史地区整備計画(PDP)」によって、資産の顕著な普遍的価値の属性が広範な被害を受けている、とされています。

2017年以降総合管理計画が造られたものの、その実効性が今一つ評価されていないようで、今も引き続き政府のタスクフォースを拡張し、モニタリングを強化することが求められています。

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