サマルカンド-文化交差路(ウズベキスタン)

提供写真

Samarkand – Crossroad of Cultures ( Uzbekistan ) OUV(i)(ii)(iv)

2001年世界遺産登録

■シルクロードを通して栄えた文化

世界遺産のタイトルには世界遺産たる特徴が表れていますが、文化交差路=まさにこの言葉通り、シルクロード等東西アジアから欧州までの交易中継地として発展を遂げてきました。

紀元前まで遡ると、中央アジア最古の都市とされ、オアシス都市として栄えます。マケドニア王国のアレクサンドロス大王の東方遠征によって訪れたとされ、一説にはここで恋に落ちたとか。

紀元後にはイスラム最初の王朝とされる、ウマイヤ朝に組み込まれ、イスラムの文化が浸透していきます。13世紀にはチンギス・ハン率いるモンゴルに征服され、14~15世紀には再びイスラム系のティムール王朝の首都として機能していきます。

今残る建築の多くがこの時代のものとされ、レギスタン・モスク、ビビ‐ハヌイム・モスク、シャーヒ‐ジンダ、グール‐エミール、ウルグ・ベク天文台などイスラム建造物が現存。

“サマル”は人々が出会う、”カンド”は町の意。文字通りサマルカンドは世界の交差点、諸文化が時代と共に融合してきたのです(登録基準ⅱ、ⅳ)。

■”青の都”コバルトブルーの世界

世界遺産に登録されているのは5件。そのうち3つを紹介すると、

アフラシアブは地図で見ると街中に現れる何もない荒野。ここはかつて栄えたサマルカンドの一部がありましたが、現在は遺跡となっており、開発制限されているエリア。

その中にある「シャーヒ・ズィンダ廟群」は”生ける王”を意味するそうで、イスラムの預言者ムハンマドのいとこが眠る(今も生きている)とされています。何よりも美しいターコイズブルーのタイル模様が印象的です。

提供画像 シャーヒ・ズィンダ
提供画像 シャーヒ・ズィンダ

ウルグ・ベク天文台は、ティムール王朝の4代目君主、ウルグ・ベクによる天文台です。君主でありながら天文学者であったそうで多才さに驚きます。イスラムは数学や天文学・物理学にとても長けていたのもうなづけます。

そんなウルグ・ベクが天文学を学べる大学(マドラサ)を建築しました。それがウルグ・ベク・マドラサであり、このマドラサは有名なレギスタン広場に位置します。

レギスタン広場には他に二つのマドラサと呼ばれる神学校があり、ここもまたターコイズブルーのタイルが美しい世界を彩っています。レギスタン広場を含む③中世ティムール王朝とヨーロピアンシティとして一帯が世界遺産に登録されています。

これらいずれも交易によって色の原料コバルトはイランから、陶器の加工技術は中国から得たものであり、文化の交流が形に現れています。また、本来イスラム教は、キリスト像のように神を偶像化することを良しとしない宗教(絵や形にしない)です。

にも関わらずレギスタン広場にあるシェル・ドゥ・マドラサには入口の上に大きく動物と太陽の絵が描かれています。イスラムでありながらも独自の文化を取り入れていることの現れなのかもしれません。

現在はこれらの建築の中に入ることができ、中ではイスラム生地や土産物屋、そしてターコイズカラーのモザイクタイルなどの店が軒を連ねる観光スポットになっているようです。

LoggaWigglerによるPixabayからの画像 シェル・ドゥ・マドラサ

コメント

タイトルとURLをコピーしました