古代都市チチェン-イッツァ(メキシコ)

Pre-Hispanic City of Chichen-Itza (Mexico)  OUV (i)(ii)(iii)

1988年世界遺産登録

聖なる泉にいる魔法使い

古くからこのエリアには「セノーテ」と呼ばれる”聖なる泉”、地下泉が存在しました。石灰岩の岩盤が陥没して地下水が露呈してできたのですが、チチェン・イッツァ周辺には川や湖沼がなく、唯一の水源でもあり、とても貴重で神聖視されたのだと思われます。

700年頃から宗教儀礼に用いられるようになり、雨が降らない時や豊作を願う時、財宝や生贄の人間が投げ込まれたそうです。

マヤ語でチチェンは”泉のほとり”、イツァは”魔法使い”の意味とされています。

提供写真 セノーテで泳ぐ観光客

ところでチチェン-イッツァを含むユカタン半島では、それこそエジプトのピラミッドよりも古くから、マヤ文明が興っていましたが、中央高原を中心とした地域には、7世紀~12世紀の間にトルテカ文明が興りました。

聖なる泉のあるエリアに、二つの文明が重なった10世紀前後の時代に造られた遺跡建造物。それがチチェン-イッツァの遺跡なのです。

■エル・カスティーリョ

スペイン語では”城塞”を意味するそうですが、植民地化したときに誤解して命名したようで、現在の研究では”神殿”であったようです。

9層の階段状ピラミッドの頂上にある立方体の建築は、壁面こそトルテカの戦士のレリーフがありますが、ククルカン(ケツァルコアトル)神殿であるとされます。

古代マヤ文明ではククルカン、のちのアステカ文明ではケツァルコアトルと呼ばれたそれは、羽の生えた蛇の形をしているそうで、農耕の神、風の神としてあがめられてきました。

面白いことに、春分と秋分の2日間のみ、傾斜45度の階段に陽があたると、下記のような蛇の形が浮かび上がるのです。なお、9層の階段は段数でマヤ歴の1年を表現しているそうです。

blogimg.goo.より引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f4/0fdec0f370e57ba401bb3890c42f057a.jpg
提供写真 至るところにククルカンの頭部が

■エル・カラコル

上記のエルカスティーリョからもわかる通り、イツァ人は古くから天文学に精通していました。カスティーリョよりも古い時代に建造されたエル・カラコルは、現代でいう天文台の役割だったそうです。

エル・カラコルというあだ名のつけられた「天文台」は906年に建設された。約9メートルの岩の上に建てられ、高さは約13メートル。中心部に螺旋階段が作られており、ドーム部には縦に細長い窓の作られた厚い壁で構築されている。なお、この窓は天体観測における重要な照準線になっており、西側は春分と秋分の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができる。

Wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/チチェン・イッツァ

■球戯場

バスケットのようにリング状のものを壁面に取り付け、ゴムボールを手をつかわずに腰で弾き飛ばすという球戯もあったようです。

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