※アイキャッチ画像は版権フリー「Andrea LambertiによるPixabayからの画像」
Site of Palmyra ( Syrian Arab Republic ) OUV(i)(ii)(iv)
1980年世界遺産登録 2013年危機遺産登録 2017年軽微な範囲変更
◆かつて王国が存在した砂漠の中の都市
シリア砂漠にオアシスと共に存在するパルミラ遺跡。現存するものはもともとかなり限定的で、砂漠の中に骨のように列柱が残る程度でしたが、2015年のISによる破壊活動によってさらに廃墟化が進みました。
しかしここはかつてナツメヤシが生い茂り、交易によって一大王国になり、ローマ皇帝が絶賛した美しい都市があった、ロマンあふれる都市でした。
この地域はシルクロードの中継地「隊商都市」として交易で栄えました。ヨルダンの「ペトラ遺跡」同様、シリア砂漠を横断するキャラバンにとって重要だったのです。
こうして 1~3世紀の間、ギリシャ・ローマの西方文化とパルティア・ペルシアなどの東方文化が交差し、ヘレニズム文化はローマ皇帝たちにも愛され、そして属州配下にされていきました。
よってディオクレティアヌスの浴場やディオクレティアヌスの城塞、ローマ劇場等の遺跡が多く残されていました。
一方でローマから独立を図ったゼノビア女王は、3世紀に「パルミラ王国」を興しますが、これはたちまちローマ帝国の反感を買い、一代にして滅亡してしまいます。
そんなパルミラには、ローマ文化以外に、パルミラ特有の「バアル(ベル)の神殿」やパルミラ文字等が残されています。
バアルはパルミラの人々の信仰神であり、それを祀った神殿です。しかし多くがISによって破壊されてしまいました、とても残念な話です。他にも「四塔門」なども破壊され、これらの復興が今でも毎年のように世界遺産委員会で取り上げられています。しかし復興案は出ているものの、国内の情勢安定まで手が出せず、危機遺産から脱せない状況が続いているのです。
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