古都アユタヤ(タイ)

2013年撮影 ワット・ロカヤスタ

Historic City of Ayutthaya (Thailand)  OUV (ⅲ)

1991年世界遺産登録

■400年栄えた「黄金の都」

タイの首都バンコクから北へ90km。そこにはチャオプラヤー川とその支流に囲まれたアユタヤ歴史公園があります。ここはかつてアンコール王朝を滅ぼしたアユタヤ王朝の繁栄の跡が残る大地です。

14世紀半ばから続くアユタヤ王朝は、その川を利用した交易によって莫大な富を生み出し、タイだけでなく日本やヨーロッパ諸国とも貿易を行いました。その結果インドシナ最大の都市として栄え、「黄金の都」と呼ばれるほどになりました。

ここでは今でも寺院や王宮跡に多くの金細工や黄金の仏像を見ることができます。

そして金ともう一つ重要な建材が「レンガ」ですが、実はこのレンガ、チャオプラヤー川が運ぶ泥と、川によって造られた米のもみ殻で造られているそうです。タイと言えば有数のコメの産地ですが、まさか建材にも使われているとは驚きです。

もみ殻入りのレンガは火を均一に通す作用をもたらすようで、燃えたあとはもみ殻は空洞になるため、小さな穴が開いているのが特徴だそうです。

とにかく広大な敷地に多くの寺院や王宮等がありますが、ここでは一部をご紹介します。いずれもかつて繁栄したが現在は滅んでしまった価値(ⅲ)が認められ、世界遺産に登録されました。

■ワット・ロカヤスタラーム

建設は後期アユタヤ王朝中期で、今は上段のような巨大な涅槃物(Phra Buddha Sai Yat )が残ります。この涅槃仏もレンガで造られていて、全長は30m近いそうです。

涅槃仏とは、横に寝そべった形で、仏教の教えを説き終えて入滅する前の状態を表しているのだとか・・・主にタイの仏教寺院や、日本では同じ世界遺産の「法隆寺五重塔」内にも小さいものがあります。

ワット・マハタート

14世紀後半に造られたそうですが、諸説あるようです。アユタヤ王朝の繁栄はビルマ軍によって破壊されてしまいますが、その時の戦いによって多くが廃墟になってしまいました。

この寺院も、今は木の根の間に埋め込まれた仏像の頭や、頭部がない仏像、崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっています。

2013年撮影 ワット・マハタート

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

アユタヤの中でもひときわ高くそびえたつ仏塔は、初代ウートン王(ラーマティボディ1世)がスリランカに留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院です。これらの塔は、隣国ビルマとの闘いに勝利した記念で造られたとされます。

2013年撮影 ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット

アユタヤ王朝では比較的新しい時代、17世紀に入ってからラーマティボディ2世により作られた、タイ最大の高さ17mのブロンズ製の巨大な仏像を安置する塔堂です。

ビルマ軍によって仏像も損傷したそうですが、幾度か補修を受け、現在の仏像はレンガ造りの上から金箔をはったものだそうです・・・残念。

2013年撮影 ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット
2013年撮影 ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット

ワット・チャイワタナラーム

第24代王・プラサートトーンが亡くなった母を偲んでチャオプラヤー川の西側に建設した寺院。寺院の四角い境内の中央の主塔を囲うように、四方に4基の塔堂と回廊が取り巻く、というアンコール・ワット様式のうえ、八方には須弥山を表現する塔も設けられています。

インドから発生した仏教には須弥山と呼ばれる世界の中心となる聖山の概念があります。

ここもビルマ軍によって焼かれ、廃寺と化しましたが、現在では夕暮れのスポットとしてもよく知られているようです。

2013年撮影 

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