オーストラリアの歴史は浅いのか

https://www.webcreatorbox.com/inspiration/aboriginal-artより引用
https://www.webcreatorbox.com/inspiration/aboriginal-artより引用

最近目にすることが多くなった、アボリジニアート、いわゆるドットアート。

私も仕事で、アボリジニアートコーディネーターで”世界ふしぎ発見”などの番組にも出演された内田真弓氏とご一緒する機会に恵まれ、その絵のもつ意味、魅力を強く感じました。

アボリジニはオーストラリア大陸の先住民族であり、モンゴロイド(黄色人種)、ネグロイド(黒人種)、コーカソイド(白人種)と、人類学上では4つに分けられる大きな区分けの一つです。

ラテン語のAB origine(最初の~)という意味からきているそうです。

彼らの文化は5万年も前にさかのぼるともされますが、文字を持たないので、その歴史を詳しく読み解くのは非常に困難。ただ彼らに共通しているのは、今も昔も、放牧や農耕ではなく、狩猟を土台とした生活であり、他の狩猟民族とは異なり、かなりオーストラリアの大地と密接につながった精神的拠り所があるという点です。

文字を持たないので、口承が基本となり、部族によって、人によって解釈が異なる点が、西洋文化を基本とする現在の私たちの合理的概念からは当てはまりません。理解すること自体が困難だと思います。

例えば”カントリー”や”ドリーミング”という言葉(これも西洋人が付けた呼び名ですが)。

カントリーはふるさとのような意味合いですが、同じ出身地であっても人によって指す土地も、意味も異なり、私たちからすると理解に苦しみます。

ドリーミングははるか祖先のことを意味しますが、人であるとも限りませんし、神話のような話であることも。しかし彼らの中では、歌や絵、口承によって明確に指し示すものがあるようなのです。

オーストラリアの歴史は浅い、よくそんな言葉を耳にしますが、それは西洋化が進んだ時代以降の考えであり、ある意味西洋的な現代の考えです。アボリジニの文化を知ると、5万年前から続くかれらの狩猟生活によって、長い歴史があったことを知ります。

例えば野焼き乾いた大地にも関わらずなぜ火をおこして草木を燃やすのか

2018年撮影 野焼き

彼らは50000年の間に、乾期に森に火が付くと、それが大きな災害となることを知っています。同時に、火災によって種が大地に落ちる植物や、それで逃げ回る動物を追って鳥類が現れるなど、食物連鎖があることも知っています。なので、適度な野焼きがリスクを最小限にするのです。

特にノーザンテリトリー準州(部族は異なりますが、ウルル・カタジュタ国立公園も含みます)のアボリジニたちは、一年を6つの季節に分け、乾燥が始まってもすぐに自然鎮火される程度の湿度で野焼きを行い、大地の活性化を行います。だから野を焼くのです

また、農耕を行わない、つまり食物を蓄積するという概念がないので、必要以上の食事や狩りをしません。その日暮らしというと聞こえは悪いですが、余分なことはしないのです。それが人口が増えても食糧難にならない秘訣であることを彼らは知っているのです。

今のオーストラリアの大地はそうやって、50000年の時間をかけてアボリジニによって保存され、また大地によってアボリジニが今も子孫繁栄している、まさに人類と大地が共存している成功例ともいえると思います。

決して、「オーストラリアの」歴史は浅くない。そう思います。

2018年撮影 ダーウィンメインストリート
2018年撮影 ダーウィン港付近の住宅街

さて、そんな彼らにも、西洋の文明が押し寄せてきました。17世紀初頭の、東インド会社が深く関わっているとされていますが、オランダ人の到来以降、外部の侵入が増え、200年ほど前にはヨーロッパ人による本格的な植民化が行われます。

当時の人口は約25万人といわれていますが、1900年代には6万人程度まで激減。特に東海岸はほぼ全滅に。しかしその中でもノーザンテリトリー準州はあまり減少がなかったようです。

その後、時代の変化もあり、人道主義が表面化し、また熱心であったアボリジニを評価するものも出始めました。人口も復活の道をたどっていましたが、1942年、大日本帝国による空襲があったのです。

そんな時代を生き抜いてきたアボリジニは今、ノーザンテリトリーの北部の街、ダーウィンの市内を歩くとそこらへんに沢山出歩いています。ケアンズやシドニーではまず見ない景色です。

2018年撮影 ダーウィン市内アートギャラリー

またダーウィンの街には戦争博物館や、アートギャラリーなども見ることができます。無料です。特にアボリジニのアートは、現在の美術的価値は非常に高く評価され、絵画も高額。かつての狩猟生活が出来なくなった現在において、拠り所、アイデンティティの表面化ともいえるような活動がアートになっています。

文字を持たないアボリジニの文化が岩絵になって今も残されている、そんな文化的側面が認められ、カカドゥ国立公園(詳しくはクリック)は複合遺産になりました。

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