華城(大韓民国)

2015年撮影

Hwaseong Fortress ( Republic of Koria )  OUV (ii)(iii)

1997年世界遺産登録

■朝鮮半島と西洋の築城技術の折衷

ソウルより南に位置する水原市にある、華城は1792年に完成した城塞です。

現地ガイド曰く、朝鮮王朝22代目、正祖(チョンジュ)により命じ、父・荘献世子(チャンホンセジャ)の墓を”華山”に移して、そのうえに築城し、華城という名称になったそうです。

2015年撮影 城壁内部からの景色

世界遺産に登録された理由としては、その築城技術と過程にあります。

もともと平原ではなく丘陵となっている複雑な台地に対し、逆に地形を有効活用したこと、伝統の建築方法を維持しながらも、石だけでなく煉瓦も組み合わせた当時のヨーロッパの築城技術も取り入れたことが評価されました。

また例えば「挙重機」という当時にしては最新の、現在でいうクレーンの技術に近い発明を行ったことも重要な点です。

そして築城には本来10年かかると見られるものを、わずか2年半で完成に至りました。

2015年撮影 長安門

なお朝鮮戦争の際に城の一部が破損したようですが、「華城城役儀軌」という築城記録を残していたため、元通りに復元ができたことも評価されたようです。

2015年撮影 西門 古い石と復元後の新しい石が色の違いでわかる

■水原の名物カルビは・・・

荘献世子(思悼世子とも呼ばれる)は幼いころから政治の場に身を置くことなり、優れた王だったようですが、逆に周囲からの反感もかい、しまいには父、英祖に殺害されたと言われています。その殺害の仕方も、米びつに閉じ込め、餓死させたというのだからとても残忍でした。

その子である正祖は、父を不憫に思い、墓を華山に移して築城したそうです。

ところでこの水原市では、韓国ならではの焼肉のメニューである、カルビが有名で、実際に味もとても良かったのですが、もともとここでは牛は放牧されていなかったようです。

一方、華城築城には大量の石が必要で、またそれを運ぶために大量の牛を導入しました。築城後は不要になった牛がどうなったのか・・・?

華城近くのレストラン
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