ロータス城塞(パキスタン)

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Rohtas Fort (Pakistan)  OUV (ii)(iv)

1997年世界遺産登録

■インドの強大帝国と互角以上に戦った君主の物語

16世紀初頭、インドにはムガール帝国という強大な帝国がありました。ムガール帝国の繁栄は「フマユーン廟」や「タージマハル」などインドの世界遺産にも登録されている建築にも見て取れます。

そんなムガル帝国の二代目君主、フマユーンから行政を学び、その後独立し、スール王朝を建国したのが、シェール・シャー

彼はわずか一代でムガル帝国と互角以上に戦ったとされます。そんなシェールが当時外界からの防衛、またフマユーンが海外遠征して帰国するまでのムガル帝国の帰路を絶つことを目的に、パキスタン北部に建てたのが、ロータス・フォート(城塞)です。

ロータス城塞はソヘール門など12もの門が設置され、周囲4kmもの重厚な城壁に囲まれた、中世インド地域においては初期イスラム軍事建築として非常に重要な役割を持っているようです。

ソハール門:シェール・シャー時代に建設された、ロータス・フォートにおけるもっとも好例の石造建築の城門である。ソヘールの名前の由来は、門の南西に埋葬されている聖者ソヘール・ブハーリーである。

wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ロータス・フォート
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メインの井戸:城塞の中央部に位置するのがメインの井戸である。この井戸で、戦士たちのみならず、戦象やウマ|軍馬が水分を補給した。メインの井戸は、148段の階段がついており、階段の幅は、20センチメートルである。

wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ロータス・フォート
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■戦わずして残されたロータス城塞

ほとんど無傷で保存されている点が評価されていますが、そもそもロータス城塞は戦地としては使われなかったそうです。

シェールはロータス城塞が完成する前に戦死し、息子の二代目君主がスール王朝を継いだものの、その後ほどなくしてスール王朝は滅亡。20年も持たない王朝となりました。

目的のひとつであったフマユーンの帰路断絶もほぼ意味のない形となり、せっかくの建造が無駄になったわけですが、日本の「姫路城」同様、世界遺産として偉大な歴史を形に遺すことができたという点では、人類にとって最も意味があったことでしょう。

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