Works of Antoni Gaudí (Spain) OUV (i)(ii)(iv)
1984年世界遺産登録 2005年範囲拡大
■手袋用のショーケースから始まったガウディの作品
アントニ・ガウディは1852年生まれ。この時代は日本ではペリーの黒船来航の1年前に当たります。まるで時代が異なるような印象を受けるかもしれません。
ガウディの才能を見出した中でもスペインの実業家であったエウセビオ・グエルが最も有名です。
ガウディは世界遺産ではありませんがバルセロナのレイアル広場の街灯や、薬局の装飾などの設計に携わっていましたが、1878年に開かれたパリ万博用の手袋のショーケースのデザインが、グエルの目に留まり、パトロンとしてガウディを支援することで才能が世に出ていきます。
ガウディの生まれた街レウスは、当時パリやロンドンにも近いとされる大きな街でしたが、それでも建物はせいぜい3階建て。石造りで四角い、どこも同じような建造でした。
ガウディは曲線や最新の鉄などを建材として使った芸術的な活動:モデルニスモの代表とされるデザインを世に広め、5階6階と、より高く薄く芸術的な建築を可能にしてきました。
パリのエッフェル塔が石造りのヨーロッパに突如現れた無骨な鉄骨の塔に対して痛烈な批判があったように、カサ・ミラのような建築は皮肉をもって表現され、簡単には受け入れられなかったようです。
それだけ新しいものを生み出したガウディの作品の一部が、世界遺産に登録されました。
■放物線に魅せられた建築
世界遺産に登録されているのは、バルセロナ中心部に6件、郊外に1件の計7資産です。そのどれもが、物を投げた時に描かれる軌道=放物線からアイデアを得た、曲線美とされています。
<グエル邸>
1886年着工。パトロンであり相棒のような存在、グエルの住宅をデザインしました。
バルセロナの住宅街に現れた6階建ての建築。できた当時は周りにはない斬新な建築だったことでしょう。正面玄関には2つの大きな放物線の入口が見えます。また、窓の鉄格子は、一本一本がねじれ構造をしており、細部までこだわっていました。
1階は馬車のための駐車場だったと聞いていますが、そこから伸びた階段にも、螺旋構造という曲線が見られます。
3階の中央吹き抜けは最も広くて印象が残るところです。放物線アーチでできたドーム型天井はビザンチン様式の聖堂のよう。光を多く取り入れ、関連があるかはわかりませんがサグラダファミリアの天井を思い出させました。
<カサ・ビセンス>
<グエル公園>
レンガやタイル工場の社長であったマヌエル・ビセンスとその家族の住居として建設された。マヌエル・ビセンスは1895年に死去、1899年にはアントニオ・ジョベル医師の手に渡った。改修および増築を経て、1969年にスペインの歴史芸術モニュメントに認定された。1883年から1885年または1889年にかけて建設され、外観はムデハル様式の影響を受けている
wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/カサ・ビセンス
ガウディとグエルはこの地に自然と住宅が共存した世界を作り上げようと夢見た場所です。公園はとにかく広いですが、住宅はごくわずか、夢は道半ばだったようです。しかし公園自体にガウディの世界を沢山覗くことができます。
公園の下層に広がる回廊はこんな波打つような世界。
回廊を支える柱はどれ一つとして同じ形のものはありません。特に有名なのは洗濯女の柱ですね。アテネのエレクティオンのカリアティードを彷彿させます。
公園の上層からはバルセロナの街を見下ろすことができ、その先にはサグラダファミリアがありました。ここにはタイルを使った曲線を活かした手すりが造られており、人々の憩いの場を想像したことでしょう。
このタイルですが、破砕タイルが使われています。今でこそよく見る形ですが、当時は「一度作り上げ整形されたタイルを破壊し、再度タイルにする」という発想に、誰もが理解できなかったそうです。平面のタイルを破壊して細分化することで曲線を作り上げたのです。
<コロニア・グエル教会地下聖堂>
コロニア・グエルとは、事業の繊維工場を中心にした工業団地のこと。その工場で働く労働者たちが職場近くに住めるように、敷地内に住居や学校、病院なども作られた。この団地に礼拝用のコロニア・グエル教会堂が建てられた。礼拝用の椅子はガウディ設計なので特徴的な形をしている。設計当時、材料は安価なレンガで設計しようとしていたが、塔を支える柱は相当な荷重がかかるので硬質の玄武岩が使用された。階高が取れないところでは、鉄骨梁が使われた。
wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/コロニア・グエル教会
<カサ・バトリョ>
バルセロナの大通り、グラシア通りに面したこの建物は、現代においても異質な外観です。
第一に目を引くのは屋根。これは現地の日本語イヤホンガイドでは、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディの竜退治の伝説をなぞっているとされています。竜のうろこをイメージしているのですね。
第二に、各部屋のバルコニーについている手すりや1階ファサード部分の柱。これはドラゴンの骨をイメージしているそうです。
内部は手すりにも着目。木製でありながら、ここにも曲線を活かしています。足元のステップはまるで背骨のよう。
何よりも天井部分には波や巻貝の様相をしており、自然界の形を模することを重要視していたフランスのアールヌーボーに似ている。また、ドアが木材でできているように、要所要所に木材を使用している点も滑らかさを演出している。
<カサ・ミラ>
モダニズム建築の時代に、集合住宅(マンション)の概念が誕生したようですが、このカサミラは時代をさらに前倒して造られたように感じさせます。カサミラの建築には直線を一切廃し、曲線だけで造ったとされています。
1904年着工当時は石壁に彫刻などを入れることで装飾していましたが、こちらは壁面というより建物全体が彫刻のような造り。当時の人々にはなかなか理解されず、「石切り場」のようだと批判されたそうです。
<サグラダ・ファミリア>
ガウディの作品の中でももっとも有名なのが、聖家族教会。その名の通り、家長のヨセフ、聖母マリア、そしてイエスの聖家族に捧げる教会です。
もともとのデザイナーは別人でしたが、アルバイトをしていたガウディが担当することになります(1883年当時31歳)。その後資金不足により何度も中断を余儀なくされ、ガウディ存命中では生誕のファサードのバラ窓辺りまでとなってしまったのです。
よって世界遺産に登録されている、モニュメントとしての価値はファサードを含めた一部壁面のみ。受難のファサードは現在進行形のため、まだ含まれていません。完成はガウディ没後100年とされている2026年と言われていますが、全体が世界遺産になるのか、あくまでバッファーゾーンの一部どまりなのか、気になるところです。
ガウディが重要視した放物線とは、重力に対して最もつり合いのとれた軌道であるということ=つまり重しをひもの中央に置いて逆さにすれば、最も理想的な建造になると理論づけたそうです。
生誕の門は聖書の物語が登場しますが、そのうち一部の彫刻は日本人彫刻家、外尾悦郎氏によるものです。