ウィーンの歴史地区(オーストリア)

ウィーン市内 2012撮影

Historic Centre of Vienna (Austria)  OUV (ⅱ)(ⅳ)(ⅵ) 

2001年世界遺産リスト登録 2017年危機遺産リスト登録

■時代とともに変わり続け、今変わることが危機になった街

一見、中世ヨーロッパの名残を感じる街並みですが、古い建物は古代ローマ時代からの歴史を持ち、今の残る多くは18世紀以降のバロック調の家々や、19世紀後半の都市計画に基づいてつくられたものですが、時代とともに変化してきた街です。

2017年にはホテル、マンションなどの高層近代ビルを建造する計画があがり、景観を損ねるということで、危機遺産に登録されましたが、ローマ時代から変わり続けている中で、今の世界遺産の街並みが造られたことを考えると、今更のような気もします。

構成資産は、リングシュトラーゼと呼ばれる環状道路の内部、歴史地区が該当します。前述の話は一旦置いておくと、世界遺産の登録に当たっては、特にバロック時代以降の優れた建造物群や19世紀の都市計画の成果などが評価されたほか、近世以降「音楽の都」としてヨーロッパ文化史上で重要な役割を果たしたことなどが評価されました。

■構成資産

リングシュトラーゼは、環状の大通りになっていて、19世紀パリではジョルジュ・オスマン知事による街並みの大改造があったように、ここウィーンでもほぼ同じ時期にフランツ・ヨーゼフ1世により、元あった市壁を取り壊し、作り上げた道になります。

今ではその上をトラムが走っているため、観光にも適した利用が可能です。

<ホーフブルク宮殿>「オーストリア国立図書館」含む

2012年撮影
2012年撮影

オーストリア国立図書館は、ホーフブルク王宮の中に位置する、1737年完成とされる図書館。740万点所蔵されているとされ、特に内観が壮麗でした。

かつてホーフブルク王宮の一角に神聖ローマ皇帝カール6世によって作られたとされます。その時はハプスブルク家の所蔵品がメインであったそうですが、第一次世界大戦での敗戦後の1920年に国立図書館に。バロック建築家フィッシャー フォン エルラッハ親子が手掛けた大広間はとくに巨大。天井には宮廷画家のダニエル グランのフレスコ画が一面に描かれています。

<シュテファン大聖堂>

2012年撮影 大聖堂内観(夜)

ウィーンの中心にひときわ高さの目立つゴシック様式の聖堂。14世紀中ごろから着工し、歴代のハプスブルク家の君主の墓にもなっています。工事中で内部に入れなかったのが悔やまれました。

<ウィーン国立歌劇場(オペラ劇場)>

2012年撮影

リングシュトラーゼの工事開始とともにルネッサンス・リバイバル様式として造られました。音楽は詳しくありませんが、専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団が、世界でも一、二の人気を争うオーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体にあたるそうです。

<ヴェルヴェデーレ宮殿>

2012年撮影

ハプスブルク家の夏の離宮として18世紀初頭に建築されました。リングの外側に伸びた形で世界遺産の構成資産に含まれます。バロック様式のベルヴェデーレ宮殿は、2つの建築(上宮と下宮)からなり、現在ではギャラリーとして、あのグスタフ・クリムトの絵画等、中世から現代に至るオーストリアの美術作品を紹介しています。

また訪れたのは真冬だったので見れませんでしたが、ベルヴェデーレ宮殿の庭園は、バロック造園技術の最高峰であり、庭園の一角にあるアルプス庭園はヨーロッパ最古のものだそうです。

2012年撮影

<聖ペーター教会>

2012年撮影 祭壇
2012年撮影
2012年撮影 ドーム天井 聖母マリアの戴冠式を示しているそう

シュテファン大聖堂にほど近い、ペテロに捧げたという名の教会は、小さいながらも個人的にはもっとも感動した教会です。創建当初の建築はほとんど残っていないようで、現在のドーム天井のバロック様式の建築は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂をイメージしたようです。外装・内装とも改定され、最終的には聖三位一体に捧げた教会となったようですが、とにかく内部・ドーム天井がとても素晴らしく、息をのむような空間がありました。

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