原爆ドーム(日本)

Hiroshima Peace Memorial ( Japan ) OUV(ⅵ)

1996年世界遺産登録

■建築としての価値より平和へのメッセージ

原爆ドームは人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を、その当時のまま目に見える形で残っている唯一の建造物です。

被ばくする前は「広島県産業奨励館」として、その名の通り広島の産業振興を目指して1915年に完成しました。建築したのはチェコ建築家のヤン・レッツェル。若くして日本にやってきた彼は、これ以外にも上智大学の校舎やホテルをいくつも設計してきたようですが、そのどれもが災害によって焼失や改築によって現存するのはこの原爆ドームのみのようです。

建築は鉄骨3階建てのレンガ造り、柱頭や窓枠の正方形・幾何学的模様はオーストリアやドイツなどに19世紀末に起こった”新たな様式 世紀末美術”の特徴です。

ヤン・レッツェルはこの芸術をチェコで”ユーゲントシュティール”や”ウィーン分離美術”と称される芸術を学んだそうで、その部分が作品に反映されているものと思われます。

また、ドーム天井はネオ・バロック調だったそうで、これらの複合様式が特徴でした。

しかしそれらも原爆によって吹き飛び、残ったのは鉄骨の部分と一部の壁面のみになってしまったのです。

2009年12月撮影

■世界遺産までの険しい道のり

諮問機関ICOMOSの調査では、上記の特徴があったとしても世界遺産としての建築上の価値は認められず、代わりに

「時代を超えて核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑」としての、まさに世界遺産の理念の部分が決めてとなりました。

よって登録基準ⅵが認められたのですが、この1996年以降、世界遺産で登録基準ⅵのみで登録されるものは認められなくなりました。

また、世界遺産に申請するまでも長い道のりがあったのです。

日本が世界遺産条約を批准する前に市議会で原爆ドーム保存は満場一致し、1992年に批准と同時に広島市長が国にユネスコ推薦を求めたが、そもそも文化財でなかったために却下。翌年には「原爆ドームを世界遺産にする会」が市民団体として発足、1995年にようやく、文化財保護法の史跡指定基準の改定を実現させます。

1996年の第20回世界遺産委員会でも、アメリカは不支持、中国は賛否保留という声明が出されたようです。

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