※アイキャッチ画像は版権フリー「Monica VolpinによるPixabayからの画像」
Statue of Liberty (United States of America) OUV(ⅰ)(ⅵ)
1984年世界遺産登録
■正式名称は”世界を照らす自由”
ニューヨーク港内マンハッタン島から3kmのリバティ島にあるお馴染みの像の正式名称は、“Liberty Enlightening the World”。アメリカの象徴にもなっていますが、この自由はアメリカではなく、世界に向けて発信しています。
19世紀中頃のアメリカでは、当時奴隷制度がはびこっていた時代。奴隷制度撤廃を訴えるエイブラハム・リンカーンが大統領に当選したことで、奴隷制を利用していた南部は危機感を覚え、南北戦争という5年に及ぶ内戦に発展しました。
戦争は終結したあとも混乱は続き、それをみたフランスの政治家が寄付を募って、アメリカ独立100周年の祝いという形で友好のモニュメントの寄贈を提案しました。
1886年に完成した像は、右手に自由を象徴する松明を掲げ、左手に独立宣言書を抱え、足元は暴力や奴隷制を象徴する鎖を踏みつけています。
また冠の7つの突起は7つの大陸と海洋に差別のない自由が広がることを意味しているそうです。これはアメリカの奴隷制と内戦から生まれた、世界に向けた”自由”なのです。
■エッフェルによる設計
自由の女神像は、内部には鉄骨、外装は銅製、そしてたいまつの炎は24金の金箔で覆われています。この設計にはフレデリック・バルトルディ、そして「エッフェル塔」の鉄骨デザインを行ったギュスターヴ・エッフェルが関わりました。
寄付金で造られたものの、たびたび資金難に陥ったそうで、資金集めのために、1878年のパリ万博にも、頭部のみを出展したそうです。
余談ですが、パリ万博はこの時代にはほぼ10年置きに開催されていましたが、この1878年のパリ万博と言えば、ガウディの作品が展示され、実業家のエウゼビ・グエイとの出会いのきっかけになりました(詳しくはコチラ)し、10年後の1889年のパリ万博ではエッフェル塔が建設された時でもあります。
なお、「自由の女神像」が世界遺産に登録された1984年の世界遺産委員会では、同時に「アントニ・ガウディの作品群」も世界遺産に登録されたので、何か運命を感じますね。
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