ヴァティカン市国(教皇聖座)

Leonhard NiederwimmerによるPixabayからの画像 サンピエトロ大聖堂

※アイキャッチ画像は「Leonhard NiederwimmerによるPixabayからの画像」

Vatican City ( Holy see ) OUV(i)(ii)(iv)(vi)

1984年世界遺産登録

■カトリックの総本山、ヴァティカンとは?

ヴァティカンは、「ヴァティカン市国」という地理的・国家的地域として、また「教皇聖座」という宗教的地域として、いずれもその全域が世界遺産に登録されています。

外務省HPによると、ヴァティカンとは「教皇聖座(Holy See)」と「ヴァティカン市国(Vatican City State)」の総称を指し、「教皇聖座」とは、カトリック教徒の総本山として、宗教機関としての側面、「ヴァティカン市国」とは、「教皇聖座」に居所を提供している領域としての国家を示すのだそうです。

世界遺産条約を採択したユネスコは国連の機関ですが、その国連では、「教皇聖座」又は「ヴァティカン市国」としてオブザーバー参加している、特異なステイタスを保持しているようです(コチラも参照)。

その国土は東京ディズニーランドよりやや小さく、面積の6割が庭で、残る4割の多くがサン・ピエトロ大聖堂などの聖堂や城で占めます。人口も600人程度で、そのほとんどがイタリア各地から働きにやってくる職員なので、まさに営業している時間だけ人口が増えるディズニーランドのようなものです。

どうもここで生まれただけではヴァティカンの国籍は持てないようで、またイタリアからヴァティカンに入るのにパスポートも不要です。

■イエスの使途が一人、ペテロを祀る大聖堂

ヴァティカンにある最大の建築がサン・ピエトロ大聖堂です。

イエス・キリストの12人の弟子、使徒のうち聖ペテロが殉教した地として墓が造られ、その上に建設されたとされている通り、その名も「聖ペトロ聖堂(サン・ピエトロ聖堂)」。

建設を命じたのはコンスタンティヌス1世。300年頃にローマ帝国の皇帝となり、初めてキリスト教を国教として普及させたとされています。彼の名前を冠した都市として、現在のイスタンブールはコンスタンティノープルと呼ばれ、ビザンツ帝国の首都として栄え、正教会の総本山となりました。

よって創建は4世紀とされますが、その時の聖堂は現在とは違い、バシリカ式、つまり古来の身廊の形そのままに長方形の聖堂でした。その後、約1000年経って、フィレンツェに始まるルネサンス文化の華開いた16世紀、老朽化した聖堂を立て直すことになるのです。

この時、主任建築士を任されたのは、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の設計にも携わったドナート・ブラマンテ。彼はルネサンス期らしい、線対称・回転対称となる正十字の聖堂プランを造り上げました。しかしその設計がそのまま完成されることなく、亡くなってしまいます。その後もラファエロをはじめ、様々な建築家によって再設計案が出されていくものの、工事は時代背景とともに進まず、時代は半世紀が過ぎていきます。

そして現れたのが、同じくローマのサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会を改築したミケランジェロ・ブオナローティ。彼はブラマンテの正十字を活かしつつ、一辺を長くしたラテン十字形のプランを提案、課題であった強度面等を解決し、コストパフォーマンスも向上して工事が進みます。

17世紀、バロック時代に入り、ファサードやロレンツォ・ベルニーニによる天蓋等の内陣が出来上がり、現在の聖堂となります。

聖ペトロの墓は十字形の中心、大円蓋の真下の地下に眠るとされ、最も聖域とされます。ミケランジェロは入口のあたりに弱冠24歳にて完成させたとして有名なピエタ像(十字架から下ろされたイエスとそれを抱くマリアを描いた彫刻)があります。

そしてアイキャッチ画像のファサード上部に並ぶ像は、イエスと12使徒。

その目線の先にあるサン・ピエトロ広場。ここは世界のカトリック教徒が教皇の祝杯を受ける場所なのです。

WalkersskによるPixabayからの画像 サンピエトロ広場

コメント

タイトルとURLをコピーしました