Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration ( Japan ) OUV(iii)(vi)
2013年 世界遺産登録
■美しい湖・泉から荘厳な神社や遺跡群まで総25件!
富士山は自然遺産でも、文化的景観でもなく、タイトルの通り富士信仰と芸術の源泉という文化的側面が世界遺産として認められました。
(ⅲ)古来より富士信仰を発達させ、芸術や自然と調和的な文化的伝統を生み出したことを伝える
(ⅵ)富士山が古来、会がや文学などの題材や浮世絵を通してジャポニズムに代表される西洋の芸術にも影響を与えた
日本人の心のよりどころであり続ける名峰。富士山は、東京の南西約100kmに位置する標高3776mの成層火山。その威厳のある山容と断続的な噴火は宗教的な霊感を人々に抱かせ、古くから死と蘇りを象徴する登拝が行われてきた。山頂には浅間大神がすむと信じられ、山裾に浅間神社や御師の家が形成されてきた。また、富士山の美しい姿は14世紀以降、さまざまな形で表現されてきた。とりわけ、19世紀前半の葛飾北斎の『富嶽三十六景』は、富士山を世界中に知らしめるとともに、西洋絵画の発展に大きな影響を与えた。
ユネスコ世界遺産HPより:Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration – UNESCO World Heritage Centre
全25件の資産のうち、今回関東から車で登山口を除くほとんどの登録資産を一日で回りました。二日あれば、全件を見ることは可能でしょう。
①富士山域
- 1-1山頂の信仰遺跡群
- 1-2大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)
- 1-3須山口登山道(現御殿場口登山道)
- 1-4須走口登山道
- 1-5吉田口登山道
- 1-6北口本宮冨士浅間神社
- 1-7西湖
- 1-8精進湖
- 1-9本栖湖(1000円札の裏面にある逆さ富士と映る湖)
②富士山本宮浅間大社
全国に1300ある浅間退社の総本山であり、浅間大神として富士を祀る総本宮です。平安時代より信仰を集め、火災ののちに家康の庇護のもと、社殿整備されました。奥宮が富士山山頂にあります。
特に徳川家康の庇護を受け、写真右のように本殿は社殿の上に社殿を載せる二階建てという特殊な構造をしており、「浅間造り」と呼ばれます。二階の部分は柱4本が見えますが、柱と柱の間を一間とし、三間社流造りと言います。
境内にある泉、湧玉池は富士山の雪解け水が湧き出たものだそうで、年中水量は安定しているのだとか。この泉で富士に登る人々は身を清めていたそうです。特別天然記念物に指定されています。
25の構成資産のうちもっとも社殿が大きく、壮麗で神社らしい神社でした。
③山宮浅間神社
鳥居と常夜燈の並びを目の前にして、何か霊気を感じる場所でした。
富士山本宮浅間大社②の前身とされ、非常に歴史は古いですが、鳥居をくぐった先には社殿はなく、遥拝所のみがまるで遺跡のように存在しますが、もともと社殿があったわけでは無いそうです。ヤマトタケルノミコトの創建と伝わり、つまりそれほど古くから遥拝の文化があったと思われます。
④村山浅間神社
他の神社と違う点として、大日堂が隣接しているため、お寺と神社の共存(神仏習合)が見られました。14世紀には富士山が修験道としてお坊さんの修行の場になると、ここ村山はその中心地になったそうです。
浅間神社は、中座に木花開耶姫(浅間大神)、左座に大山祗命・彦火々出見命・瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っています。 現在の社殿は大正2年に改築されたもののようで、一部コンクリートが使われるなどの新しさを感じました。
⑤須山浅間神社
山宮浅間神社③と同様、ヤマトタケルノミコトの創建とされ、須山口登山道を通って山頂を目指した登拝者が、ここでみそぎを行い登山の安全などを祈願しました。
⑥冨士浅間神社(須走浅間神社)
小川と杉の森林がマッチした、自然の中に溶け込んだ神社でした。1707年、最も新しい富士山の噴火(宝永の大噴火)により、3m以上の灰に埋もれたそうで、現在のものは再建されたものだそうですが、富士山から遠く離れたこの距離での被害から、噴火の規模がうかがえます。
楼門の奥に控える社殿は、拝殿と本殿を幣殿と呼ばれる部屋で繋がっており、このような形式は江戸時代に栄えた「権現造り」と呼ばれる、世界遺産「日光東照宮」と同様の造りになっています。
この神社の位置する須走口は「富士講」の人々によって奉納された石碑なども多く残されており、登山前の祈願も含めて富士信仰の様相がうかがえます。
⑦河口浅間神社
杉の巨木が特に目立ち、その中に古くも荘厳な佇まいをした神社で、②本宮浅間大社ほど煌びやかではありませんが、逆に神聖な雰囲気を感じます。
865年に富士山の噴火を鎮めるために建立されたとされますが、やはり火災により焼失し、17世紀に再建、木造建築は一見地味に見えますが、横から見ると屋根が特に立派で、右に位置する本殿は、「一間社流造り」という日本の神社建築の原点ともいわれる造りでありつつ、唐破風付きの向拝がついている独特な造りであることがわかります。
祭神は富士の神、木花咲耶姫命。
⑧冨士御室浅間神社
御室浅間大社の歴史は古く、富士山を祀った神社としては最古とされています。もともとは二合目の旧登山道にあったものの、たびたびの火災にあい、かつ保存が困難であることから、昭和になって現在の位置に移築することになったようです。
本殿は奥ばっていて良く見えませんが、一間社入母屋造りで、少し高い位置にあって高欄(テラスの手すりのような部分)が正面側面の三方を囲っています。
⑨御師住宅(旧外川家住宅)
富士山が世界遺産になった理由として欠かせないのは、長谷川角行が興したとされる、江戸時代以降に栄えた富士山信仰「富士講」。中でも”御師”と呼ばれる人々は、富士講信者が登拝を行うのに当たり、宿や食事を提供するなど一切の世話をするとともに、日常は富士山信仰の布教活動と祈祷を行うことを業としました。
そんな御師の屋敷で現存するもののうち、世界遺産に登録されているのは2軒。ここ旧外川家の母屋は1768年に建造され、現存する最も古い屋敷とされています。
内部は資料館になっており、天井は低く、一方で宿になっていた奥の間は少し高くて広い構造になっていました。また御師の衣装なども展示されています。
⑩御師住宅(小佐野家住宅)は現在も住民がいるため立ち寄らず
⑪山中湖
⑫河口湖
⑬~⑳忍野八海(出口池⑬・ お釜池⑭・ 底抜池⑮・ 銚子池⑯ ・湧池⑰・ 濁池⑱・鏡池⑲・ 菖蒲池⑳)
忍野八海は徒歩圏内に8つの構成資産に分かれており、どれもが富士山に積もった雪解け水を中心に山や森を通り、79年かけてこのあたりに湧き水として表れてくると言います。このあたりでは八大竜王の恵の霊水と呼ばれるそうですが、まさに霊山富士の水、というところでしょうか。
特に観光地として中心になり、またその透明度が分かりやすく目に映るのが、⑰湧池と⑲鏡池です。湧池の水は1983年のNASAのスペースシャトルに持ち込まれ、宇宙で人工雪を作る実験材料になったそうです!
㉑船津胎内樹型
㉒吉田胎内樹型(内部非公開のため立ち寄らず)
㉓人穴富士講遺跡
人穴富士講遺跡は、溶岩の流れによってできた長さ約83メートルの溶岩洞穴”人穴”があります。コロナの影響によって穴の中に入れませんでしたが、”吾妻鏡”によると、「浅間大菩薩(富士山の神)の御在所」と記され、富士講の開祖とされる長谷川角行が16~17世紀に修行し、入定したと伝えられる聖地です。
それ以来、角行への信仰を集め、参詣や修行のために人穴を訪れる講員も多く、供養碑や記念碑などの碑塔が、人穴の中やその周りに建立されていました。その数はなんと200基を超えるそうです。
㉔白糸ノ滝
富士山の湧水が約200mにわたって噴出し、白糸が垂れているように見えることからその名がついたそうです。その滝つぼは忍野八海と同じくとても透明度が高く美しい。また長谷川角行が水行を行った地といわれ、富士講を中心とした人々の巡礼・修行の場となりました。
この滝の展望台の左手に、角行に続いて富士講を興した食行身禄の100回忌供養として造られた碑があります。この滝で水垢離(みそぎ)を行っていた風習があったようですね。
㉕三保松原
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