明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(日本)

2022年10月撮影 異人館

Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining ( Japan ) OUV(ii)(iv)

■西洋に負けない!その思いが成長を加速させた幕末~明治の日本

山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に計23件が点在する、明治時代の日本において西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを示す一連の産業遺産群が世界遺産に登録されています。

こうした一つのストーリー上に複数の資産がまとめて登録されることを世界遺産委員会ではシリアル・ノミネーションと呼んでいます。

イギリスに見られるような18世紀から19世紀にかけて興った産業の変革、いわゆる産業革命は、海を越えて日本でも興ります。日本では19世紀後半から20世紀初頭における、半世紀の非常に短い期間において達成されたという点も評価されているようです。

特に製鉄・製鋼、造船、石炭という当時の基幹産業。石炭による新しいエネルギーの台頭によって、製鉄技術が進化し、大型の軍艦や大砲といった軍備が進み、富国強兵を目指すとともに、殖産興業から文化の開花にも繋がったと私は考えます。

鹿児島の集成館事業

幕末から明治にかけて、鎖国をしていた日本にとっては、欧米列強の脅威=大砲を備えた軍艦でした。

そこで登場するのが、42歳で藩主となった偉人、島津斉彬

彼こそが当時海外との接点が大きかった薩摩において、軍備と産業の拡大、富国強兵殖産興業を唱えた一人でした。

鹿児島にはその具体策として、「集成館事業」を始めます。製鉄だけでなく、ガラスや陶器、織物といった工業から薩摩切子という文化の発展につながります。その他蒸気機関、電信、写真などの技術もここで実験し、研究されました。

2022年10月撮影 仙厳園

鹿児島中央駅から車で15分ほどで、これら集成館事業の跡地を見ることができます。「仙厳園」には製鉄に使った反射炉の基礎石垣が残ります。反射炉は静岡の韮山反射炉が一部原型をとどめており、同じく世界遺産に登録されています。

島津の没後に集成館事業は一時衰退しますが、1863年の薩英戦争をきっかけに、今度は紡績工場の増設に取り掛かります。アイキャッチ画像は、今なお残る、その当時に外国人の技師を招聘した宿舎「鹿児島紡績所技師館=異人館」です。

木造瓦葺きのコロニアル様式の建築は、夏でも涼しさを感じられる造りでした。

同じく1872年にフランスからポール・ブリュナを招聘した「富岡製糸場」の宿舎も、レンガ造りが目立つものの、木造構造と廊下は非常に似通った建築です。

2022年10月撮影 異人館の2階廊下

薩摩切子のガラス工場を挟んですぐ隣に、日本最古の石造洋式機械工場「旧集成館機械工場」も世界遺産の構成資産の一つとして残ります。

建築は長崎製鉄所等を参考に設計されたといわれ、凝灰岩をつかった厚さ60cmの分厚い石壁で造られています。写真のアーチ型の入口は、大正時代に博物館に転用する際に増設されたようです。

中にはオランダ等から輸入した機械をおさめていました。

道路を渡った海岸線には、蒸気機関によって複数の紡績機械を動かした工場の跡地「鹿児島紡績所跡」があります。

2022年10月撮影 旧集成館機械工場

こうして鹿児島や静岡の韮山、佐賀の三重津海軍所などで製鉄・造船技術が発展し、長崎の高島炭鉱端島炭坑の石炭産業が確立、八幡製鉄所三菱長崎造船所の建造へと時代は動いていきました。

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