麗江旧市街(中国)

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Old Town of Lijiang ( China ) OUV(ii)(iv)(v)

1997年世界遺産登録 2012年軽微な範囲変更

■ユネスコ復興モデル「麗江様式」と呼ばれた街並み

中国雲南省、平均標高が2000m以上の山に囲まれた自然美しい環境に位置する古都麗江は、何世紀もの間保存されてきた街並みが保存されていて、4つのエリアが世界遺産に登録されています。

特に氷河をいただく”玉龍雪山“は、標高6000m近いそのダイナミックな景観と、そこから流れ出る雪解け水の恵みによって、長らく水路を形成し、そこに街が形成されていきました。街の水路は現在も生活の要となっており、古代から続く水道も今なお機能しているそうです。

この地域は「ナシ族」等の少数民族を始めとしたとても小さな村からスタートしています。彼らは7世紀頃から東巴(トンパ)教と呼ばれる固有の宗教から独自の文化を開き、「トンパ文字」という象形文字も生み出しています(ユネスコの世界の記憶にも登録されている)。

これは今も使われている点から、エジプトの象形文字とは違って”生きた象形文字”とも言われています(結構可愛らしい文字です)。

世界遺産に登録されているのは、麗江の「古城」Dayan Old Town、「束河村」Shuhe Town、「白砂村」Baisha Village、「黒龍潭公園」Heilongtan Pool の4エリア。

中心となる街の風景は、宋時代末から元代の初めにかけて麗江の地に定住してきたナシ族等の少数民族によるものです。繁華街である「四方街」を中心に広がる迷路のように入り組んだ石畳の街路や、木造建築、そして水路や水車はかつての風景を今に残します。

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しかし近代に入って人口の過疎化が進み、伝統的な生活では不自由な面が生じ、20世紀末には街の近代化も見られてきました。そんな中、1994年に雲南省観光会議にて世界遺産申請を重要議案にあげ、昔ながらの街並みを保存しようという動きが興ります。

しかし1996年にM7.0の雲南省地震が起こり、街のほとんどが破壊されてしまいます。

この際、街をさらに近代的なものにするか、あるいは昔ながらの石畳の街並みに戻すのか、様々な議論がなされました。

最終的には、後者を選択しますが、その際、街並みに相応しくないショッピング街やカラオケ店、スーパー等の参入を防ぐ条例をしき、保護する体制を整えたのです。

これによって復興を成し遂げ、さらに世界遺産に登録された事も相まって、観光客・住民の平均可処分所得は増え、農民の数等の増加等、右肩下がりだった人口も増加に転じました。

街並み保存によって観光で稼ぎ、そして地域への経済効果を生み出したこの事例は、のちに「麗江様式」としてユネスコ復興モデルの好事例になりました。

しかしそれから時が経ち、今では押し寄せた観光客によって観光公害も発生しているようです。観光地化することで投資家たちによる地価の上昇を招き、住民は住むより貸し出すようになります。こうして外からの移住者が増え、ナシ族のようなアイデンティティが失われつつあるようです。

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