※アイキャッチ画像は「版権フリー画像:falcoによるPixabayからの画像」引用
Aachen Cathedral (Germany) OUV(i)(ii)(iv)(vi)
1978年世界遺産登録 2013年軽微な変更
■最初に世界遺産リストに登録されたうちの1つ「皇帝の大聖堂」
ドイツ西端に位置する町、アーヘンにあるこの大聖堂は、時代とともに増改築されながらも、歴代のドイツ国王が戴冠式を行ってきた、名実ともに壮麗で荘厳な建築です。
構成資産が大聖堂ひとつだけにも関わらず、登録基準が4つも認められている点にも表れていますが、1978年に最初に世界遺産リスト入りした12件の物件のうちの一つ(詳細はこちら)に含まれます。
アーヘンの大聖堂はもともと、8世紀ごろに宮廷礼拝堂として建設され、その後東西ローマの二つの文化がまじりあい、15世紀にはゴシック様式の内陣などが増築され、17世紀にはバロック式の円蓋が天井に加えられます。
中心となる部分は平面的には八角形ですが、丸屋根の円蓋を頂く複雑な様式となり、一方で工期はわずか10年で完成したと推測されているそうです。
独特な八角形である、この8の数字には、カトリックにおけるイエス・キリストの復活節の最初の8日間「主の復活の8日間」の8から来ているという説や、旧約聖書のノアの箱舟における、箱舟に乗った8人の8から来ている説など、様々な意味があるそうです。
■西ローマ帝国を復活させたカール大帝
8世紀の西ヨーロッパのほとんどを支配においたフランク王国・カロリング朝のカール大帝は、もともと敬けんなキリスト教徒でした。
一方の東ヨーロッパでは、東ローマ帝国と対立を深めたカトリック教会が後ろ盾を得る目的から、教皇レオ3世はカール大帝をローマのサン・ピエトロ大聖堂に招き、ローマ皇帝の冠を与えたとされています。
それが800年12月25日、ここアーヘンにおける「カール大帝の戴冠式」から始まる、実質的な西ヨーロッパにおける支配者につながっていくのです。
カール大帝はその後アーヘンの礼拝堂を壮大な大聖堂に再建させ、かつ自身が住まう宮殿も隣接して造らせましたが、宮殿は死後に市庁舎へと姿を変えました。
カール大帝は814年に71歳で生涯を閉じましたが、その遺体はアーヘン大聖堂に埋葬され、遺骨は今も特別の神殿に保存されています。