ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古遺跡(イタリア)

提供写真

Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata (Italy)  OUV (iii)(iv)(v)

1997年世界遺産登録

■ヴェスヴィオ火山の噴火

紀元79年8月24日午後1時すぎ、ヴェスヴィオ山の大噴火によってポンペイの町には大量の火山灰や火山礫が降り注いだ。噴火は30時間以上に及び、ローマ時代の古代都市ポンペイは死の町と化した。火山灰の粉塵に埋もれ、18世紀に初頭に発掘が始まるまでそのまま眠り続けた。

http://www.tbs.co.jp/heritage/1st/archive/19981115/onair.html

ヴェスヴィオ山はナポリの街からも見える、標高1100m以上の山々が外輪山を形成する成層火山です。噴火当時はわずか9kmしか離れていないナポリにとっても、ましてや近接するポンペイに住んでいた人々にとっても、あっという間の出来事だったでしょう。

提供写真 ナポリ全景とヴェスヴィオ火山

噴火によって繁栄していたポンペイや現エルコラーノなど、周辺の多くの豊かな都市が廃虚と化しました。18世紀中頃以来発掘が進み、残るは現在約2割程度とされています。

■遺跡の保存状態

もともとはエトルリア人、その後はギリシャ人が主に居住していましたが、紀元前89年にローマ軍に征服されると、そこからローマの植民都市として再スタートを切ることになります。

ポンペイはその後、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後は商業都市として栄えていきます。

その矢先の噴火により、熱風と火山灰、有毒ガスに襲われて絶命した人々。その死体のまわりには火山灰が積もり、やがて水分を含んでギブスのように固まった。そして肉体が朽ち果てると、きれいな空洞になった。その空洞に石青を流し込み、もとの肉体の形が再現されたのである。

http://www.tbs.co.jp/heritage/1st/archive/19981115/onair.html

皮肉なことに、急激な自然災害によって、当時の様子がまるで生きたまま閉じ込められたかのようになり、保存状態は非常に良好であったそうです。

特に壁画などの美術品は、非常によく保存されていたそうで、当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「ポンペイ・レッド」と呼ばれています。

またトッレ・アヌンツィアータのヴィラ・オプロンティスの華麗な壁画は、初期ローマ帝国市民の富欲な生活様式を鮮明に伝えています。

提供写真
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