古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラ(ウクライナ)

All rights reserved by Смирнов Павел タウリカのヘルソネソス

※アイキャッチ画像は「FrickrによるСмирнов Павел」の画像

Ancient City of Tauric Chersonese and its Chora ( Ukraine ) OUV(ii)(v)

2013年世界遺産登録

■2000年以上前の古代ギリシャ農耕の様子が分かる稀なる遺構

現在のクリミア半島(かつてはタウリカ半島と呼ばれた)には、古代ギリシャ・ローマ時代にヘルソネソスと呼ばれた都市が残り、主に農業遺構を中心とした8つのエリアが世界遺産に登録されています。

古代ヘルソネソスは、紀元前5世紀頃にドーリス人が築いた植民都市です。古代ギリシャで呼称されたポリス(都市)と、ホーラ(農地)が遺構となって今なお残り、古代の文化的景観をとどめる稀有な例。

この時代、コンスタンティノープルとの交易都市として栄え、その後はキエフ・ルーシの一都市として成長していきます。中世になり、ローマの衰退とともにこの町も衰退していきました。

そんな交易都市として、前5世紀から後13世紀の間に形成された直交する街路システムが評価され、市域外も含めて現在も碁盤目状の400カ所の区画が残るそうです。ただ実際は市壁の一部とゼノンの塔と呼ばれる塔の基壇部分が残る程度のようです。

All rights reserved by Смирнов Павел タウリカ

一方の農業区画(ホーラ)は古代ギリシャ式の農法がくみ取れるそうで、クレーロス(スタリー・グラード近郊に古代農業区画も残る)と呼ばれる、古代ギリシャの植民地建設の際に、市民に平等に分配された私有地が今なお残るのは珍しいとのこと。石灰岩による乾燥した大地で育つブドウ園が多くを占めたようで、ホーラの配置方や方位などの工夫は古代ヘルソネソスの農耕技術の高さも伺えるそうです。

基準(ii):タウリカのヘルソネソスはギリシャ、ローマ、ビザンチン帝国など、交易によって様々な時代と文化の交流が見て取れる。

基準(v): タウリカのヘルソネソスに残るホーラは、広大で保存状態の良い土地の割り当てシステムであるクレーロスによって、農業景観(文化的景観)を表している。

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