メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ)

Pablo S. RamirezによるPixabayからの画像

※アイキャッチ画像は「Pablo S. RamirezによるPixabayからの画像」

Historic Centre of Mexico City and Xochimilco ( Mexico ) OUV(ii)(iii)(iv)(v)

1987年世界遺産登録

■かつて確かに存在したアステカ文明とその上に気づいたスペイン文化の融合

構成資産はメキシコシティの「歴史地区エリア」と、「ソチミルコ」の3エリア、計4エリアが含まれます。

歴史地区エリアは”ソカロ”と呼ばれる憲法広場を中心としており、スペイン植民地化以前の遺跡と共に、ゴシック、ルネサンス、バロックなどの建築様式が入り交じった大聖堂、宮殿などが残されています。以前とは、かつてこの地域一帯で栄えていた、アステカ文明による首都があったことに由来します。

アステカ文明地域を中心に植民地化を進めた、いわゆるコンキスタドールはエルナン・コルテス。彼はかつてあった首都テノチティトランを征服し、破壊し、その上に今のメキシコシティの基盤を作ったとされます。

その後のスペイン時代にはアイキャッチ画像の、バロック・ルネサンス様式等が混じった「メトロポリタン大聖堂」やアステカ時代から続く建材を利用した「国立宮殿」等が建築されてきました。そのため、TBSの番組でも放映されましたが、20世紀後半に電気工事中の作業員が偶然に発見した地下遺跡は、ソカロの下に埋もれたアステカ文明の遺構だったのです。

ソカロの周辺にも様々な歴史的建造物が造られ、世界遺産のコアエリアになります。コアエリア西端にはアールヌーヴォー様式の外観が美しいオペラハウス「ベジャス・アルテス宮殿」等があります。

JUAN CARLOS GONZALEZによるPixabayからの画像 ベジャス・アルテス宮殿

メキシコシティから30kmほど離れるとソチミルコと呼ばれる地域があります。「アステカの生きた遺跡」とも言われ、アステカ人の生み出した農耕法が今なお残ります。

世界遺産としては3エリアに分かれていますが、かつてあった大きな湖が運河として残り、結果エリアが3つに分かれているようにも考えられます。この運河には”チナンパ“と呼ばれる、沼地の表面の厚い水草層を切り取り、敷物のように積み重ねてつくった人口の浮島を、畑のように農作する農法がアステカ時代以来伝統的に行われています。

このチナンパでは主食のトウモロコシ栽培がされているようで、通常の大地での農作よりも収穫量が多いのだとか。

メキシコシティの歴史地区やソチミルコは、こうしたアステカ文明の上に成り立っている類まれなる価値が認められ、世界遺産になりました。

Joaquín EnríquezによるPixabayからの画像 ソチミルコ

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