フィレンツェの歴史地区(イタリア)

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Historic Centre of Florence (Italy)  OUV(i)(ii)(iii)(iv)(vi)

1982年世界遺産登録

■ルネサンス全盛期が残る街並み

ルネサンス(Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 – 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。

wikipediaより引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネサンス

世界遺産の範囲に含まれるウフィツィ美術館に展示されているような、絵画や彫刻などの美術品もそうですが、ドゥオモに代表される様々な建築物もこのルネサンス時期に見られる特徴が残っています。

いずれもこの古典・古代を良しとする考え方は、例えばダ・ヴィンチの「ウィトルウィウスの人体」のように、人体の比率や幾何学的な考えに意味を持たせる風潮だったり、音楽的な調和を求めたりすることに繋がっていきます。

建築で言えば、それが建物の左右対称性であったり、建築に使われるオーダー(柱)の比例理論であったり、鳥瞰図などを用いた実用的な設計製図を用いたりすることに当たります。

それらの根本には古代ローマを良しとする文芸・建築の「復興」があるのでしょう。

この時代を代表するルネサンス建築家ともいわれる人たちは、下記のような方々が有名です。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • フィリッポ・ブルネレスキ
  • レオン・バッティスタ・アルベルティ
  • ドナート・ブラマンテ
  • ミケランジェロ・ブオナローティ

■サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)

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一見左右対称性は見えませんが、空からみるとラテン十字の形をしており、また、洗礼堂と鐘楼が独立した建築として外に出ているのは、ピサのドゥオモと同様にルネサンス様式の特徴です。

ファサードは写真のようにバラ窓や高さを表現したゴシック建築の特徴を持ちます。緑とピンク、そして白の石造りの模様はイタリアらしさを出していますね。

ドゥオモの二重円蓋(クーポラ)は直径42mもあるそうですが、その設計は、先のフィリッポ・ブルネレスキによるもの。写真のクーポラのトップについてる金色の級と十字架(実はブロンズ製のよう)を、クーポラに載せる際に使われたブルネレスキの機械にダ・ヴィンチは魅了され、スケッチに取って絶賛したとされています。

■メディチ家の財によるルネサンスの支え

これらルネサンスが花開いた背景には、強大な財源が必要です。ルネサンスが開花する直前まで、フィレンツェは自治都市を形成し、毛織物業や金融業で栄えた商業都市でありました。

特に台頭してきたメディチ家のコジモ・デ・メディチは実質的に市政の支配権を担うまでになったとされています。そして300年続くルネサンス芸術の下支えになっていったのです。

さきのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂もコジモによる援助でした。

さらに孫のロレンツィ・デ・メディチはダ・ヴィンチやミケランジェロを支援し、ルネサンスを加速させていきます。

■ヴェッキオ宮

16世紀になってコジモ1世(コジモⅠ・デ・メディチ。孫は子はフランチェスコ1世)は、トスカーナ公となり、さらなる権力を持ちます。ゴシック様式の政庁舎「ヴェッキオ宮」は彼の住居にもなり、大改造しました。

中心が市庁舎ヴェッキオ宮 提供写真
ヴェッキオ宮内観 提供写真

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