北海道・北東北の縄文遺跡群

北黄金貝塚 2023年9月撮影

Jomon Prehistoric Sites in Northern Japan OUV(iii)(v)

2021年世界遺産登録

■獲物を追う生活から定住へ!人類の進化が読み解ける大地

 北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道・青森・秋田・岩手の1道3県にまたがり、先史時代の人々の農耕社会以前の生活の在り方と複雑な精神性を示す17の考古遺跡から構成された世界遺産です。

先史時代の中でも、今から約15,000年前から約2,400年前までの間を縄文時代と呼ばれ、この地域の遺産は特に、紀元前13,000年から紀元前400年までの間に、北東アジアで発展した狩猟・漁労・採集社会による定住の開始、発展、成熟を示している点が価値の中心となりました。

狩りのように獲物を追って移動する生活から、家を作り、拠点とし、その地域に住み着くようになるというのは、人類の進化において非常に大きな転換期だと思われます。

同じようにオーストラリアのアボリジニたちは、約50,000年前から、今でも狩猟によって生活していますが、定住とはなかなか表現しづらい生活様式です。

おそらくオーストラリアの砂漠地帯と違い、海や森といった自然の恵みや、木材で家を作りやすい環境が大きかったのではないでしょうか。実際に北黄金貝塚や入江・高砂貝塚では、村のすぐそばに湾があって、狩り(漁労)と家の距離はとても近いことが分かりました。

こうした恵まれた環境は食べ物を自ら作り出す“農耕”の必要性が低くなり、良くも悪くも縄文人は1万年以上にわたって農耕社会に移行することなく、気候の温暖化や寒冷化及びそれに伴う海進・海退といった環境の変化に適応していったのです。【登録基準のⅴ】

アイキャッチ画像のような「北黄金貝塚」には、芦でできたの住居一つに5,6人が住み、全部で30人ほどの村であったことが判明しています。今から6,000年前は氷河期が終わって地球が今より3度高かったそうで、海水面も高く、この貝塚の麓はすぐに海だったのではないかとされます。

今見える貝塚の貝殻は再現ですが、地中からはハマグリの貝殻も出土したそうです。現在の海水温と海流では、この近辺でハマグリは獲れないのだとか。

2023年9月撮影 北黄金貝塚
この貝殻はすべて再現であり、実際の遺跡はこの地下の地層に再度埋め直したそうです(なので歩けます)

■貝塚はゴミ捨て場では無かった!?この時代の精神文化とは

 定住生活を開始したことは、まず土器の使用によって示唆され、その後、住居跡や祭祀場からも結論づけられます。

北黄金貝塚」では、貝塚と呼ばれるホタテ貝等の殻が非常に密集して発掘されます(上坂さんという農家の農地から発掘されたため、この地域の土器は上坂式土器と呼ばれるそうです)。

貝塚は私が小学校の頃は、食べたあとのごみ捨て場であったと言われていましたが、

・わざわざ穴を掘って集められていたこと(ゴミなら海に捨てるか、穴は造らずに積み上げるでしょう)

・貝塚から埋葬されたと考えられる人骨や勾玉などの装飾品が発掘されたこと

から、食べて身が無くなった殻は死者と同様に埋葬され、天の恵みに感謝したのではないかとされています。つまり、死者への畏敬や弔いといった精神的な考え方がすでにこの時代に形成された可能性が高いのです。

こうした考えは生物だけでなく、道具にも同様の考えがあったようです。木の実をスリつぶす石器は、役目を終えるとすべて一部分を破壊し、貝塚のように集めて埋葬していました。北黄金遺跡には、こうした道具の墓場ともいえる場所が残っています。

また、「入江・高砂貝塚」では、障害によって身体的成長が遅れた人を丁寧に世話をし、寿命としては非常に長生きしていたとされる人骨も発見されています。

家を作り、人と人が社会を築くことは、こうした互いを思いやる精神が芽生え始めた時代だったのかもしれません。

貝塚における墓、恐らく祭祀・儀礼のために使われた捨て場や盛土、そしてこの地域ではありませんが、環状列石を創造したりして、世代間、集落間で社会的なつながりを確認していったのです。【登録基準のⅲ】

2023年9月撮影 入江・高砂貝塚

洞爺湖町には、世界遺産に登録された「入江・高砂貝塚」があります。

こちらの貝塚は「北黄金貝塚」と異なり、雑草が生えて自然のままに放置されています。学芸員に伺ったところ、ここの方針としてはできるだけ手を加えないとのことです。「北黄金貝塚」もそうですが、入場料は取らず、ガイドを依頼した場合のみ代金を取るとのこと。

こうした貝殻の復元などの保全費用に、観光収入は検討されないのでしょうか?

学芸員さん曰く、あくまで博物館という概念であり、教育委員会の所管であることから、観光で稼ぐことはあまり考えていないそう。今は年間約8,000人、もし入場料を収受すると、事務費の方が嵩むため、それもなかなか踏み込めないのだとか。

観光地化すれば、ガイドを民間に委託し、観光業としての雇用を生むかもしれないが、そのガイドが食べていけるだけのガイドのニーズがあるのかも検証が必要だと言います。

一方で、観光客には、考古遺跡であってもできるだけ往時の景色を再現して見せたい、ということで、竪穴式住居の復元に力をいれているようです。

こうした復元には、堀によって規模はわかるが、屋根は木の骨組みの上に芦によるものだったとされる説や土を盛って屋根にした説など、諸説あって、まだまだ分からないことも多いそうです。実際、入江・高砂貝塚は全体の10%程度しか発掘できていないそうで、多くはまだ地中に眠っているのです。

2023年9月撮影 入江・高砂貝塚の復元の様子

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