なぜ日本人はウルルに登ったのか

uluru 2018年撮影

■今から2年ほど前話題になった、「エアーズロックの登山が禁止になる」というニュース。

当時旅行会社でエアーズロック(ウルル)に行くパッケージ商品を作っていた私の耳には、業界全体が「これからウルルが売れなくなる」という懸念ばかりが入ってきました。

実際にそのころ、間際のかけこみ需要とともに、禁止になった2019年10月以降は需要が激減。仕事上の話ですが非常に販売に苦労したときでした。一方で現地支店やウルルのリゾート経営からは、それは特に日本人のみに該当する事象であり、多国はそこまで変化はないという話も沢山あったそうです。

なぜ特に日本人はウルルに登ることにこだわるのか?世界遺産の観点で考えたことがあります。

■「山」の世界遺産

「山」とは古来より、簡単には手に届かないその高さが神秘性を持ち、どの国においても、そしていつの時代においても神聖視されてきました。例えば誰しも知っている山で例を挙げるなら、「富士山」は活火山として噴火を畏れられ、浅間大神として祀り、やがては富士山そのものを神のように崇めるようになっていきます。「厳島神社」の背景に映る「弥山」は古くから聖域とされ、弘法大師(空海)が修行の際に灯したとされる消えずの霊火が山頂付近にあることでも有名です。

2009年撮影 弥山

日本に限らず、世界的にも、例えば中国の「泰山」は多くの人から信仰を集める道教の聖地であるし、この他にもまるで山水画のような景色が望める「黄山」や、つい最近では映画アバターなどの撮影舞台として使われたといわれる「武夷山」と言った道教とのかかわりの深い山々が多くあるし、ヨーロッパで言えばギリシャには女人禁制のギリシャ正教の聖地「聖山アトス」があります。

世界遺産の例だけでも挙げればキリがないですが、これらはいずれも宗教的・信仰的な価値が人類共通の普遍的価値として、世界文化遺産あるいは世界複合遺産という形で認められています。「山」にはそれぞれの地域に密着した宗教的意義は異なるが、畏れ・敬い・そして崇める信仰の対象として地域に根付いているという点はどこも同じなのでしょう。

ところが、同じ山でも、その地域の信仰をきちんと理解していないことが大きな問題に繋がることがあります。

それがウルルの登山の問題でした。

■富士山とウルルの信仰の違い

富士山」は先に述べた通り、古くは霊山として、遠く離れた場所から山に向かって拝むという「遥拝」が行われてきたとされます。火山活動がおとなしくなった11世紀後半からは山岳信仰が始まり、中国から伝来した密教・道教が融合して修験道の修行が盛んになりました。この頃から山を登りながら拝む「登拝」という行為が行われてきたとされ、江戸時代には各地から登山者が集まって「冨士講」と呼ばれる山岳信仰の基盤となる組織も広がっていきます。

今では登頂で得られるご来光の絶景や達成感を目的とすること多く、宗教的な意味合いは薄れているかもしれないが、年間30万人近くが山頂を目指して登っているそうです(環境省データに基づく)。

日本人にとって富士山とは、登ることでも信仰の対象となるのです。そして世界文化遺産となった際も、やはりこの登拝を含んだ信仰の対象はユネスコに重要視され、登録名も「FUJISAN, sacred place and source of artistic inspiration」とされるように、信仰の文化的背景も重要な価値となりました。

さて「ウルル」はどうか。「ULURU-KATA TJUTA national park」という名称からは固有名詞しか要素として表現されていないませんが(尤も登録名に遺産の価値が表現されるようになったのは比較的最近に多い)、少なくともエアーズロックというイギリスの探検家が「発見した」名称ではなく、地域に住むアボリジニの言葉が使われる点は重要だと思います。

ウルルはもともと、1987年に世界自然遺産としてユネスコに登録されました。ウルルの岩山は、周辺がまだ海底だった6億年前、造山活動と地殻変動によって硬い部分が歪曲して地上に露出した部分が風化して形作られたもの。その大きさ、形成過程は自然美だけでなく地球の形成の歴史が垣間見えるとして登録基準(ⅶ)(ⅷ)が認められ、世界自然遺産として認められたのです。

ところが1992年に開催された第16回世界遺産委員会で、新しい概念「文化的景観」が採択されることとなります。これは同じく自然が評価された隣国のニュージーランドの「トンガリロ国立公園」が、自然景観だけなく、現地に住むマオリの人々にとっては聖地であり、信仰の対象とする山であること=つまり文化的な価値があることを認めるべきという考えが生まれたことに起因する概念でした。

自然のものではあるが、文化としての価値を持つ「文化的景観」により、トンガリロ国立公園は翌1993年、自然と文化の両方の価値を持つ複合遺産として拡大登録されることとなったのです。

カタジュタ国立公園(英名:マウントオルガ)

「ウルル・カタジュタ」もその考えに近しく、数万年前から始まるとされるアナングの人々に置いての信仰の対象である証拠として、沢山の壁画が今も残り、ツアーで見ることが出来ます。アナングの人々を含めてアボリジニの人々は文字を持たないという通説から、こうした壁画は歴史的にも重要な意味を持ちます。

本来のウルルの価値は登ることで得る達成感や絶景ではなく、彼らの脈々と受け継がれてきた歴史と生活が残されている壁画とその岩山自体に価値があるのです。

こうして1994年に登録範囲が拡大され、登録基準も文化的な価値を意味する(ⅴ)(ⅵ)も追加され、「ウルル・カタジュタ国立公園」として世界複合遺産に拡大登録されました。

我々日本人は、どこか無意識のうちに、富士山に登る感覚でウルルを目指してしまうのではないでしょうか。同じ信仰的象徴である山でも、富士山に登ることと、ウルルの岩山に登ることは意味が全く異なるということを、登山者はきちんと理解していないといけませんでした。

■アナングの思い

当時は実際に現地に出向いてみると、登山道(実際には道と呼ばれるようなものではなく杭が刺さっただけのような道だが)には大きな白板が立っていて、そこには以下のような文章が書かれていました。

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訪問者が登山と呼ぶものは、伝統的所有者のアナング族にとって神聖な意味があります。ウルルに登るべきではありません。すべきことは万物に耳を傾けることです。これが正しいことです。登らないことが適切な行為です。~略~

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手前の白板に記載。その奥に登山道が見える。 2018年 登山禁止前 撮影

これが各国の言語で書かれていましたが、残念なことに一番左上の目立つところに記載されているのが日本語。しかも、登るにも非常に危険を伴い、死者も出ているというくらいだから、これはアナングの人々においてはたまらない気持ちだったことでしょう。

ウルルの土地管理責任者はかねてより、以下の三条件のいずれかを満たした際に登山を全面禁止とすることを現地の観光関連団体と取り決めをしていました。

①ウルルで著しい観光開発が行われる場合

②ウルルで登山に代わる観光要素ができた場合

③ウルル登山者が20%を切った場合

今回は③が該当したということで2019年10月26日より禁止とするに至ったようです。

ウルルを訪問するツアーに出かけた際は、こうした歴史的背景をもとに、アナングの人々の歴史や考え方を学びながら巡るのが一番です。そうではなく、写真映えや達成感を得たい場合は、シャンパングラス越しにウルルの岩山が逆さに映るサンセットを遠くから眺めるツアーをおすすめします。

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