アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(エジプト)

マサコ アーントによるPixabayからの画像2 アブシンベル神殿

※アイキャッチ画像は版権フリー「マサコ アーントによるPixabayからの画像」

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae (Egypt) OUV (i)(iii)(vi)

1979年世界遺産登録

■様々な伝説を生んだファラオ、ラメセスⅡ世

メンフィスのピラミッドラッシュがエジプト古王国時代だったのに対し、新王国時代(紀元前15世紀~9世紀頃)に入ると、トトメス3世、ラメセス2世と言ったエジプトの領土拡大を実践したファラオ(王)が現れます。

ラメセス2世は建築王とも呼ばれ、巨大な建築をいくつも命じてきました。

その一つが、ナイル川流域の山を削って作り上げた巨大な神殿、「アブ・シンベル神殿」です。またそのすぐ近くに王妃ネフェルタイリのために築いた神殿、通称「小神殿」もあります。

ラメセス2世は建築以外に様々な伝説を残しました。

例えば彼は死後ミイラとして発見された跡、20世紀になってカビが繁殖したために処置を行うため、フランスに運んだそうですが、カビが繁殖=生物として生きているということでパスポートを発行し、職業欄にはファラオと記載された、とか。

他にも彼は息子を111人、娘は69人ももうけた、とか。

また、当時ヒッタイト王国との争いが絶えず、特に歴史上有名なのが”カデシュの戦い”ですが、ラメセス2世はアブシンベル神殿等のレリーフに大勝利として英雄伝を残したそうです。しかし実際は平和条約を結ぶ形となり、果たして大勝利なのか、解釈が割れるところです。

■ナイル川に沿ってまるで遺跡のテーマパーク

アブ・シンベル神殿以外にも、ナイル川に沿って新王国時代やその後の時代に建てられた遺跡は数多く残されており、”ヌビアの遺跡群”として10の遺跡が一つの世界遺産に登録されています。ここでは一部を紹介します。

<アブ・シンベル神殿>

切り出された正面の4体の像がラメセス2世自身を模しており、その権力を誇示していますが、実は真ん中の入口上部に小さく切り出されているのが太陽神ラー・ホルアクティ。そして4体のラメセス像の足元に小さくある像が王妃ネフェルタイリやその子供たちです。

考古学の素人からするとあまりに粗末な扱いに見えますが・・・。

この神殿はこの太陽神に捧げたものとされ、神殿の最深部には”ラー・ホルアクティ” ”ラメセス2世” ”国家神であったアメン神” ”プタハ神”の4つの像があり、秋分と春分の日に、対岸から昇る朝陽が当たるように設計されています。

Marina_PerevalovaによるPixabayからの画像 ネフェルタイリの小神殿

<聖シメオン修道院>

主にエジプト周辺で布教されたキリスト教の一つ、コプト教の修道院跡です。イスラムによる支配が続いたため、世界的には少数にあたります。丘の上にたったこの修道院は6世紀頃創建とされ、この地方のキリスト教伝道の拠点となりました。

<カラブシャ神殿>

ローマ皇帝オクタヴィアヌス(アウグストゥス)によって完成され、ヌビアのホルス(タカの神)に対応するマンドゥリスと呼ばれるヌビア太陽神に捧げられました。この神殿は1970年にアスワンの南50キロの現在の場所に移築されました。壁にはオシリス神やイシス神などエジプトの神々のレリーフとヒエログリフによる文字が残ります。

<フィラエ神殿>

アブ・シンベル神殿やカラブシャ神殿と同様、アスワンハイダムによってナセル湖ができたあと、フィラエ島は完全に水没しました。この島にあったイシスに捧げる壮大なフィラエ神殿は、一度解体され、後にフィラエ島と改名されたアギルキア島に移転されました。この神殿にはローマ皇帝トラヤヌスのキオスク、生家などが残されています。夜訪れれば、音と光のショーが楽しめるそうです。

DEZALBによるPixabayからの画像

<アマダ神殿>

トトメス3世、アメンヘテプ2世、トトメス4世、3人のファラオによって、時代とともに増改築されていった、アメン神ラー・ホルアクティ神のために作られたヌビア地方の神殿。今でも保存状態の良いレリーフが残り、象形文字が壁面にびっしり残されているのは圧巻です。

最近、エジプト観光・考古学省のサイトでバーチャルツアーができました。一見の価値ありです。

https://my.matterport.com/show/?m=wpdMtL8MgHG

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