石見銀山遺跡とその文化的景観(日本)

Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape (Japan)  OUV (ⅱ)(ⅲ)(ⅴ)

2007年世界遺産登録 2010年軽微な範囲変更

2019撮影 石見銀山

銀の採掘から始まった町づくり

石見銀山では、16世紀に朝鮮半島を渡って伝播した灰吹法による銀の精錬技術により、良質で大量の銀が採掘され、最盛期にはヨーロッパにまで銀が流通しました。

そして銀山が活発になるにつれて、武家屋敷や商人の家、山吹城などの山城、銀が輸出されるまでの沖泊道やともがうら道などの街道など銀が採掘から精錬、輸出までの一連の流れが町並みを形成し、ユネスコでは文化的景観としてよく保存されていて評価されています。

■登録範囲とその価値

構成遺産は全14か所あり、私が実際に訪れた場所、つまりいわゆる石見銀山として観光で行くのは文化財保護法による「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている、6か所しかありません。沖泊や石見城跡などは地理的に遠いので、14か所すべて回るには2、3日の滞在は必要と感じました。

<① 銀山柵内 >

かつて石見銀山山頂に位置した山吹城が守りを固めるための柵を沢山打ち立てたことから、その柵の中を柵内と呼んだそうです。町の中心である観光案内所から龍源寺間歩の坑道入口までの間を柵内とされ、かつて採掘から精錬まで行われた場所であり、龍源寺間歩、清水谷製錬所跡、石銀遺跡、清水寺、唐人屋敷跡などを含みます。銀山が開発され16-17世紀の銀が流通し、東アジアだけでなく、ヨーロッパにも経済的、文化的交流を生み出しました(OUVⅱ)。

灰吹法による製錬技術と、日本独自の600~900もの間歩と呼ばれる手彫りの坑道により、江戸時代から日本独自の技術に発展させ、鎖国を通して結果的に伝統的技術を示す遺跡が残された形となります(OUVⅲ)。

2019年撮影 清水谷製錬所跡

台湾ともかかわりのある点で、注目すべきは清水谷製錬所跡。明治28年に藤田組が20万円(現在では約20億円)かけて作ったもので、富岡製糸場が24万円なので、かなりの資金を投入して造ったことになります。しかしガイド曰く、わずか1年半で銀が想定ほど産出されないことが判明し、操業停止に。奇しくもこの明治29年には台湾「金瓜石」の採掘を藤田組が開始しています。見た目も金瓜石の十三層遺跡とそっくり。

2019年撮影 龍源寺間歩

龍源寺間歩は街から徒歩では30分近くかかるので、電動自転車が役に立ちました。間歩は当時の銀採掘の過酷さがうかがえ、20分ほど歩けば出口に出られる一方通行でしたが、ガイドの説明があって初めて間歩を深く理解できると感じました。

<②代官所跡>

大森地区の幕府が派遣した代官所。ここで採掘した銀を回収、坑夫たちに給料を上げていたそうです。現在は資料館として開放。世界遺産登録より前に、住民の手で保存をしてきたことが評価されているそうです。

<③大森銀山重要伝統的建造物群保存地区>

2019年撮影 大森町

代官所や熊谷家、羅漢寺、宮の前地区を含む、伝統的な家屋が続くエリア。ガイド曰く、銀山そのものより、この町並みを保存してきたことが誇りだと。確かに世界遺産としては「石見銀山遺跡とその文化的景観」であり、文化的景観はまさにこのエリアを指します。

後述しますが、世界遺産登録に当たって街の人々は賛否両論に分かれたそうです。最終的に一言でいうならば、平成19年8月に大森町の住民が集い、「世界遺産で稼がない」「自らの生活は変えない」「世界遺産としての町は未来に引き継ぐ」という石見銀山 大森町住民憲章ができました。

これと他の13の構成資産すべての流れが町並みを作っているとして文化的景観(OUVⅴ)が認められています。

<④宮の前地区>

ここは街はずれだが、家屋よりもその地下に眠る製錬所跡が重要とのこと。現在は見ることができない。

<⑤熊谷家住宅>

重要文化財。大森・銀山街道に面した最大の町屋建築。現在はおしゃれなカフェも併設されて開放されている。

<⑥羅漢寺五百羅漢>

街の中心に位置するお寺。

<⑦~⑭ そのほか遠方に位置する構成資産>

⑦矢滝城跡 ⑧矢筈城跡 ⑨石見城跡 ⑩ともが浦道 ⑪温泉津沖泊道 ⑫ともが浦 ⑬沖泊 ⑭温泉津重要伝統的建造物保存地区

※ICOMOSの調査により、完全性が不十分であると指摘され、景観を守るために2010年に範囲を拡大し、軽微な変更となった。また各街道についても真正性が断片的だとされ、復元可能な部分を追加し、結果街道全体の73%が資産の範囲に。

■大森町とユネスコ

2019年撮影 大森憲章

世界遺産登録に当たっては、やはり国・県・市が主導で動いたかもしれませんが、ガイドの話を聞いて、それに対する大森町の住民の結束・活動が自発的で、かつ重要であったと強く感じました。

保存地区は電線を地中に埋め、自販機やエアコンの室外機は木箱に入れるなど、街並みの景観を重視しているが、それは国からの指示ではなく、住民が自らの自費で行ったとのこと。世界遺産保存のための銀山基金の半分は大田市だが、半分は住民の寄付によるとのこと。決して財政難では無いようだが、なによりも町の結束力の高さを感じました。

大森町の住民は、観光には頼らず、しかし観光地としてこれからも住み暮らすことを話し合い、憲章として残しています。これは観光客と地域住民双方の好循環を目指した、サステナブルなツーリズムの見本にもなっていると思います。

類似の状況で言えば、中国の麗江の旧市街やクロアチアのドブロヴニク旧市街などがありますが、いずれもユネスコ主導であったのに対し、大森町は住民主導と言ってもいいのかもしれません。

2019年撮影 大森町 下部の自販機、右上のエアコン室外機を覆う木材
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